山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

この曲の毒に耐えられるものだけが

てなわけで。昨日のブログ、書くだけ書いたらワシがスッキリしましたな。
自分で認めるのが嫌だっただけで、ワシ、この曲が嫌いなんだわw苦手なんだわ。
まあそれがアルバムトラック中の一曲であったら「うん、この曲は合わないな」とスルーするだけなんですけど。
一応、リードトラックとして推されているってのが違和感の正体だったみたいですね。

改めて「嫌い」と自分の中で認めて聞くと、メロディはいいし、ギターもいいから。良くないのは歌とコーラスと歌詞。ということがはっきりわかるので、すんなりと聴けますね。
「うーん、残念だなあ。あまり真面目に生きている人を(たとえさわおにはそう見えなくても)踏みつけにするもんじゃないですよ」
という57歳のワシの実感が湧いてくるのです。
だってワシ自身が社会の底辺で泥にまみれてもがきながら、踏みつけにされて生きている側のニンゲンだからさあ。

「その歪んだ自尊心、粉々にしてやろうか」ってのが実に反射しているって言うかw
「自己紹介だなあ」とも思うわけですよ。
「踏みつけにされているから(その仕返しとして)踏みつけにしてやる」って理由なんだろうけど、「粉々にしてやろうか」ってのは「粉々にされちゃう」ってことですよ(自分で書いてて意味不明に読める自覚はあるので、「お願いわかって」な気持ちでコレ書いてますw(*´∀`*))

だからこそ「僕ら」は「ニンゲンをはみ出してゆく」(ヒューマニティを手放す)んだろうけど。これがとてもわかりにくい。コーラスも相まってとてもわかりにくい。伝わらないw
ちょっと聞いただけではなんか高みからアーティスト様がチャンネーの腰を抱いて余裕ぶっこきながら、一般人を見下ろして嘲笑しているようにも聞こえる(気がする←これは女声コーラスのせい)
コレがこの曲の最大の悲劇なんですね。

伝わらない、伝える手段をあえて放棄している?怠っている?って聞こえる気もして、「印象が悪い」って事になっちゃうんですよ。
非常に「毒のある」曲ですよね。
希望の出処が生まれた日の清らかな新生児の産声にしか無いってのがこれまたもう絶望の象徴というか。
コレを受け入れる事ができるのか、肯定できるのかでこの曲の評価は分かれると思います。

「30周年を迎えるのにこんな事やっちゃうピロウズって…」(´・ω・`)
とも思う一方で、「やっぱコレくらいハードル高くしておかないとね(変なファンが寄ってこないように)」とも思うワシがいるw