山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

健闘をたたえ合うボクサーみたいに

と、言うわけで。
何故か最近突然、身辺が賑やかです。
ここ8年ほど、「人生が停滞している」というか。「出口がない」という感覚に囚われることが多くて。

なんとかブレイクスルーしたい。
この試練をなんとか乗り越えて、吸収し、自分の血肉として自分の成長に繋げたいと願うばかりの日々でした。
でも、この何年かの様々な出来事が起きる間で自分で気がついたことは。
「みんなそれぞれに重荷を背負っている」て事です。

みんな、それぞれに(この年になればさすがに)人生の重荷を背負っている。
一見幸せそうに見えても、顔で笑ってココロで泣いているんですよね(はいそこ、「妄想デターw」って言わないw)
人も羨む仕事についてて、一見華やかに見えてても。それぞれに苦しみはある。痛みを持っている。

多分、その最大の理由は「景気が悪い」ってことなんですけどね。
仕事がなければ人からヤル気を奪い、ただの「死ぬのを待つだけの人」にしてしまう。
ソーコワス、不景気。
日本はこの20年、ほぼ死に体です。

だからこそ。
ここらでナニカを変えたいと願うようになりました。
その手始めが、まず、「自分を大切にする&可愛がる」だったんですけどね。ワシの場合。
誰もワシのことを大切にしてくれない、可愛がってくれないのだったら、せめて自分が優しくしてやろうと。

コレはワシにとってすごい転換であります。
もともと、親にあまり愛されずにおとなになってしまったこどもだったので。
まずワシは自分に対する評価が低いんですよ実は。

自分が生きてても価値がないって思ってて(親に「お前は役に立たない人間だから早く死んだほうが世界のためになる」と割とつい最近も言われた)
だからこそ、こんな自分でもナニカのお役にたてるのならば、自分が潰されても構わない。
そんな捨て身の覚悟で家族を守ってきたという事です。
なんなら自分が死んでもいい。という覚悟でですねw全力でやってきたつもりだったんですけど。

よく考えてみれば、ワシが死んじゃったら家族は多分、不幸なんですよねw死んじゃいけないんです。
(でもやっぱり「ワシが死んだほうが家族は幸せになれるかも」と思うことはよくある。これはつまり「ワシに価値はない」というワシの確固たる信念がなせる技であって、ワシが死んでも後妻さんがくるなり、来ないとしてもそれなりに生活は回って、そこそこに幸せに暮らすのだろうなという予感というか、諦念がある)

ワシは踏みつけにされてもいい。
この身がどうなってもいいと、本気で信じていたのですが。

去年、ガン宣告を受けて以来。
「なるほど。ワシが幸せになってもいいんじゃないの?」と思うようになりました。
多分、ワシがワシの家族に幸せになってほしい。その為ならワシは死んでもいいと思うように。
ワシはワシの幸せのためにもうちょっと手間暇をかけてやるべきではないか?と気がついたのです。

そして同時に思ったことは。
みんな同じような痛みを抱えて、涙を流しているのなら。
ワシはその人たちに対して、優しくしてあげよう。いたわってあげたいと決めたことです。

重い荷物を背負い、様々な試練に立ち向かうその人たちの、もつれて今にも転びそうな足取りに励ましを届けたいと思いました。
それはワシも同時に重い荷物を背負って試練のさなかにいるからですよ。
この険しい人生との戦いを「美しい」と褒め称えたい気分です。今は。