山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ワシ、豹変する

そう言えば。
少し前に朝の情報番組で神田古書店街の特集をやってましたの。
「ふーん、一度は出かけてみたい古書店街」と思いつつ見てたら、意外な特集でしてw
「洋書の古書は本としては売れないけど、小道具としてならちゃんと売れます」みたいな特集があってましてw

「はー。インスタ映えってアレね」
と思いつつボーっと見てて。
オークションでものを売る時に背景や下地として洋書の古書を小道具として演出に使うと、モノの売れも良くなるよ!みたいな話でして。
「はあはあなるほどね。でもそれなら英字新聞でも敷いてたらもっと安上がりに済むんじゃない?」と思いつつ見てたら。

番組中のリポーターが、
「私も洋書の古書を使ってトイレの演出を考えてみました!」
と言って、トイレの棚に洋書を数冊重ねた写真を紹介してたんですね。

「下手くそな演出だなあ」と見てたらなんとその積んである洋書の一冊がトールキンの「The Silmarillion=シルマリリオン(邦題は「シルマリルの物語」)」だったんで思わず吹いてしまいました。

知ってる人は知ってますが、うちのトイレには本棚が作り付けで設置されてて。
指輪物語」が全巻、追補版まで置かれてます。
しかも、「シルマリリオン」はワシ、ガン手術の入院中にずーっと病室で読んでた本なので、ちょっと思い入れがあって。
それまでは「本をものとして扱うのも、ソレは人の勝手だしやる人はやるよね。好きにすれば?」程度に思ってたのが、俄然、この瞬間に、

「本は積まずに読めやばかもの!!」主義者に豹変しました(^ρ^)

その本を開けば幾千の物語が息づき、今、自分が生きている世界とは別の世界に連れてってくれる。
書いた人の脳内で遊ばせてもらえるのに、そのチャンスを見過ごして、オブジェにしちゃうってのは…好きじゃねえなあ…と思ってしまいました。

その「シルマリリオン」だって、時間をかけて一行ずつ読み解いていけば、読んだ人の人生を豊かに彩ってくれるかもしれないのにねえ…
モッタイナイねえ(ワシはモッタイナイという言葉が好きじゃないので滅多に使わないのだが)
と思ったことでしたよw