山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

意外と身近な戦国時代

実家の父の生家は和仁川流域にあり、豊臣秀吉の時代に全国的に「刀狩令」を発するに至った「肥後国一揆」「肥後国人一揆」が起きたことで知られる土地であります。

詳しい歴史はコチラから→肥後国衆一揆

和仁の田中城に土地の豪族や百姓が立て篭もり攻め落としに来る佐々成政と戦い、それは長期にわたって苛烈な籠城戦となった…というのは実は三池崇史(先祖がこのあたりの人だそうです)が作った熊本の博物館でのみ上映されている映画で知ったんですねw
その作品は「熊本物語」として三作品まとめられ、かつてDVDとしてリリースされておりました↓

「熊本物語」

この「肥後国一揆」を扱った作品は「おんな国衆一揆」というタイトルでして。
実家の父の生家の近く(実家の父が卒業した小学校の隣)にある温泉施設で毎日上映されてて、地元のおばちゃんたちがクライマックスになると立ち上がって「殺せ!殺せ!!」と声援を送る…とかなんとか。そんな伝説のある映画です。

攻め落とす側だった佐々成政はあの連合赤軍が起こした浅間山荘事件で警察の指揮をとった佐々淳行氏の先祖であり。
「籠城を攻め落とす血筋?」という気がして面白いですね(不謹慎)
佐々成政はこの肥後国一揆を自力で鎮める事ができなかったので、責任を取らされて切腹することになるのですが。

まあそんな風にちょっと面白い逸話がある先祖の土地なんですが。
その頃にもう一つ、面白い伝説があるんですよ。

当時、「人鬼(じんき)」と呼ばれた武将の存在です。
紅毛青眼、身長は2メートル近くあったそうで_その容貌から分かる通り、純粋な日本人ではなかったようなんですね。
その名は「和仁親宗」
伝承にはこのように描かれております↓

「末子は人鬼親宗とて面は赤く目は輝き髪は左右に生分り手足は熊の如くにて、
さながら鬼の粧也。
父の自休もこの子をは人鬼とぞは名付たり。」


出典
熊本県三加和町[和仁城合戦]

親宗の人相風体については身の丈七尺六寸もある大男で、顔は真っ赤、目は光り輝き、手足は熊のように力強く、そのうえ、動作は機敏で、その風貌から人鬼と呼ばれたと「和仁軍談」に記されている。

出典
武家家伝_和仁氏

三人兄弟の末子だったようですが。どうやら彼の生母はオランダ人だったようですね。
地元に伝わる口伝によると、この女性は豊後の大友義鑑から和仁家へプレゼントされた女性だそうで…
地元の人には「南蛮さま」と呼ばれて大事にされていたそうです。

しかし彼女は故郷のオランダを恋しがり、夕方になると山に登って沈む夕日を見ながら「オランダが見えないものか」と泣きながら眺めていたそうです。
「南蛮さま」は若くして亡くなってしまいますが、その子「人鬼親宗」は戦国武将となり、悲劇的な最後を遂げます↓

青い目をした母親は
死ぬときに自分のお墓は海の見えるところに作ってくれと
言い残したために,
三加和の山頂に葬られた.
そこは,今でも「南蛮毛」と言われる.

人鬼親宗は,田中城が落城すると
深い傷を負いながらも母親の眠る「南蛮毛」まで辿り着き,
そこで自害して果てた.


出典
肥後・筑後の梶原伝説

「ふーん、そんな事があったのか」との感慨に打たれますね。
あの平和な山奥の山村にそんな日本を揺るがすような歴史(検地、刀狩令)のきっかけとなった事件があって、そんなエピソードもある。
そうしましたらなんとこの事を小説にしたものもあるんですね↓

「鷹ノ羽の城」白石一郎

中古本で1円でしたので、買いましたともーφ(゚∀゚ )アヒャ