山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

脚本について考える

さて。そんなわけで「マッドマックス 怒りのデスロード」の勝手な宣伝要員になって、「面白いから見てー見てー」と言って回るうるさいBBAになっているワシでありますが。
今のところ、ワシがオススメしてこの映画を見に行ってくださった方々、なんと全員がw(°O°)w
「面白かった!」と言ってくださっててワシ、感激(´д⊂)

まあ、ワシがおすすめしたものをわざわざ自腹で見に行ってくださるって事は、ワシの話に耳を傾けてくださっている。ワシの事をいささかなりとも信用して下さっている。少しは好きで居て下さっている、少なくともワシのことを嫌ってないお方であるってことでして(^o^;)
「面白かったー!」と素直に言っていただくと、ワシも「楽しい時間を過ごせたようで良かったー」(*´∀`)と思うわけですよ。

おすすめした甲斐があります。
これからも何かいいもの見つけたら勝手にオススメして回りますので、覚悟めされよ!(・∀・)

今回の事でとても感心したのは、監督自身が「自分がよくわからないもの」(人身売買された女性たちの事情とか心情とか虐げられている環境とか)に対してはアドバイザーとして現役の専門家を招いてお話を聞く、俳優たちにもその人の話を聞かせた_という部分です。
脚本が監督の(いくらジョージ・ミラーとは言え、中の人は70歳の白人のおじいちゃんなわけで)ひとりよがりにならず、自分の想像だけで書いたものではない、ちゃんとした説得力を持つものになっているのにはこのような理由(背骨?)があるから、なんですね。

今期の朝の連続ドラマが…
あまりにも脚本がひどくて見るに耐えないんですけど(ーー;<脱落した人

これからは日本の脚本業界にも複数名で書くというシステム、アドバイザーを入れるというシステムが根付くのかもしれませんね。
(今でもスポンサーとかプロデューサーの意見が反映されたものになってはいるでしょうが。もっとプロの脚本家が複数名で色んな角度からチェックを入れて破綻や偏りがないものにつくり上げるという意味で)

一人で書くにはあまりにも視点が偏りすぎていたり、「いや、ここでこうはならないでしょう?」みたいな物が多すぎて…
「作家性」も大事ですけど、その作家性が単独では厳しいものになってしまうのであれば、それもやむなしというか。
でも「作家性」というのは多分、そのくらいではびくともしないもんなんですよ(憶測)だからもっとやろうよ(・∀・)<無責任w