山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「寄生獣」

原作ファンとしては「もうこうなったらとことんダメにされてゆく寄生獣というコンテンツを見届けるために見に行きましょう!!」という気分で出かけました。はいー。

その結果。
ワシは感動の(´д⊂)涙に泣きぬれて、山崎監督に「ありがとう、ありがとう!」と心のなかで手を合わせてお礼を言うのでした。
この成功の理由は何だったんでしょう?
ワシは「監督が原作への愛があったから」だと思いますよ。
それでは以下、その山崎監督の「愛有る監督っぷりについて」の覚書です。

山崎監督は「永遠の0」を劇場で見てたのでなんとなく「どんな監督なのか?」はわかっているつもりでしたが。
「うーむ、監督、腕を上げたな!」が見終わっての感想でした。
VFXの専門家でありながら、人間ドラマもちゃんと描けているじゃないですか(上から目線)
「永遠の0」では「冗長だな」と感じた語り口もこの「寄生獣」では前後編に映画を分けたことで、スッキリとタイトにまとまり、しかも物語がスピーディでありながら「原作の芯」はちゃんと残されており、強烈なメッセージとして観客につきつけられてくるんですね。

いやはや、まったく驚嘆しました。
どれほどこの山崎監督は、自分の脳内でこの物語を繰り返し、「自分が監督だったらこの作品、どう映画化するかな?」を上映し続けた人なんだろうなあと想像出来ました。
でなけりゃ、あの原作。
冒険ものであり、奇妙なバディものであり、人間の根幹に迫る問いかけを繰り返すとても複雑な、あの原作を。
ここまで立派にエンタテインメントとして映画化できる事はなかったと思えます。

最初は阿部サダヲ演じるミギーが、「はなっから感情あり過ぎぃ!!」とドンビキしましたが。
物語が進行してくれば、なるほどミギーの魅力爆発。
原作でのあの「切羽詰まった場面」であっても、脱力するような、「ぷすっ」と笑っちゃうような。
変なオフビートな、膝かっくんな感じの「ユーモア感覚」が、映画化でもちゃんと残っていたのでこれは、原作ファンには嬉しかったですねえ(・∀・)
最後の方はミギーが本当に可愛らしく思えてきますw
複雑な照明の中で動きまわり、自説を得意げに語るミギーのシーンとか、撮影技術も含めて本当に素晴らしいです。

そして特筆すべきは俳優陣の素晴らしさです。
國村隼池内万作余貴美子と好きな俳優さんが揃い踏みで演技合戦が火花を散らすんですもの。
あああ〜〜〜素敵ぃ〜〜*・゚゚・*:.。..。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゚゚・*

今回びっくりしたのは、深津絵里がおばちゃんになって実にいい演技を見せてるって事ですよ。
声音も変えて寄生獣と人間の共生を模索する女教師の役を見事に演じきっておりました。

特筆すべきは主演・染谷将太くんの演技力。
ひ弱で軟弱な、極普通の高校生「新一」がミギーに寄生される事で自分自身が変わっていってしまう。
その悲しみと力強さを、瑞々しい演技で見事に演じきっております。

そして東出昌大の不気味さw
これは正しい使い方です。
桐島、部活やめるってよ」での、あのなんとも「何を考えているんだかよくワカラナイ感」の演技(なのか素なのか??)が今にも大量殺戮を始めそうで。実は見ててワシはすごく怖かったんですが。
その「いいしれぬ恐怖感」をウマイこと使いましたねー山崎監督!
まさに当たり役!

國村隼の刑事役なんてぴったりすぎて嬉しくなるし、池内万作が演じる「A」(寄生された警官)もこれ以上ないくらいはまってます。
イイ俳優になりましたねー。嬉しくなります。

漫画原作で、ここまで見事に「原作の本質」にちゃんと迫って、ここまで見事に映画として成功させた前例は_あまり他には思い浮かびませんねえ。
ハリウッドの原作使用の権利が切れてくれてよかった。
日本映画でこの日本人の物語を映画化することが出来てよかったです。

ちょっと奇妙で愛らしく、繊細で骨太で、笑っちゃって涙して。
メランコリックで優しい、愛のあるこの物語はアメリカ人には描けなかっただろうなと想像します(カッコイイの一点に話が集約されそうという意味で)

文句ナシの☆=5
来春の完結編がとても楽しみです。