山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ミスト

スティーブン・キングは好きだけど、フランク・ダラボンはそうでもない。
世間的に評価が高いこのキング原作&ダラボン監督作の「グリーン・マイル」も「ショーシャンクの空に」も、実はそこまで好きじゃない。
普通におもしろいとは思うけど、それ以上の感慨はゼロ!φ(゚∀゚ )アヒャ といういわゆる普通の映画好きな人とは嗜好が違っているワシですが(なので世間的な評価とそぐわないこと夥しい)

そのキングが、「これはいい」と自作を映画化した作品の中で一番のお気に入りがこの「ミスト」なんですって。
なので、見てみましたの。
「あ、原作読んでないや」(^_^;) ま、いっかφ(゚∀゚ )アヒャ

映画の内容は_キング作品に繰り返し出てくる、メイン州の地元の閉鎖的な人々と都会の人(別荘族?都会に通勤族?)の漠然とした対立。
その中間の立場とも言える、イラストレーターの主人公(地元で生まれ育ち、家で仕事しているが、注文は都会からやってくる事で生計を立てている)
この男はイラストレーターという不安定な仕事で家族を養うことに責任感を持っているんですね。
コレは多分、小説家という事で生計を立てているキング自身と重なる部分なんでしょう。

そこへ嵐がやってきて。
なぜかその後、原因不明の霧が大量発生。
その霧の中には「ナニカ」が居て、人を殺して回っているらしい_というところからお話が始まります。

異次元からやってきたクリーチャーが大活躍して人間をバッサバッサと殺して回るんですが。
スーパーのマネージャーが実は使える男であったり、バイトくんが実は勇気ある男だったり。
人物の造形がいい感じです。

「それにしてもこのイラストレーターの妻は影が薄いなあ」と思ってたら_なんだか「妻の立場」を奪うようなキャラクターが出現。
「え?まさか?」と思っていると、案の定、彼女が「現場での妻」みたいな立場に収まるのであらら…(^_^;)
コレは_なんの暗喩なんでしょうかね。キングの願望かはたまた現実の映し鏡か←下衆の勘ぐり

ラスト近く。
街を脱出した主人公たちの前に立ちはだかる「すごく巨大な●●」が現れるシーンは、荘厳とすら言える美しさで感動しますね。
(そういえばキング作品の映画化には「巨大な●●」が欠かせないキャラだな)

「この巨大な●●は不景気とか戦争とかの化身なのかなあ」と思いつつ見終わりました。
ただのパニックホラーなのに、なんとも言えない余韻(後味悪っですが)を残す作品でした。
個人の力なんて歴史や運命の前には逆らえない、無力だという事をシミジミと感じさせる映画でありましたよ。

多分、この辺の流れを今に受け継いだのがTVシリーズの「ウォーキング・デッド」とかなんでしょうね。
そんな事を感じられる読後感でありました(映画だって)