山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

OOPARTS 全曲レビュー 5

ゴメン、昨日のワシの意見(妄想)にちょっと付け加えさせていただくなら。
「自分に憧れている泥亀の存在を全く無視している」ってワケじゃないんですよね。

ただ、考えが足りなくて本当に素でナチュラルにその存在に気がついてないだけで。
本人に悪気があるワケじゃないのです。

ワシはそこは判っているつもりですよ。
山中さわおってそんな人。
自分の気持ちにいっぱいいっぱいで、他に考えが及ばないのよ。
ソレは敢えて無視したり見えないフリをしているんじゃなくて、ただ単に考えが及ばないだけなのです。
罪がない無邪気さとも言い換えることが出来るかも。

自分の気持ちのまっすぐさ加減にばかり気が行ってしまって、他の事を考える余裕がゼロなのよ(だからインテリジェンスが無いって、いつもワシから悪口を言われる)

でも、ソレが彼の良いところでもあるわけですよ。
「真性まっすぐ王子」(増子さん談)

「よくも今までの人生、それで乗り切って来られたな!?」と呆れるくらいにまっすぐ。
ただ、ひたすらに真っ直ぐ。
自己憐憫もなく、自己慰撫もなく。
ただ、自分の思いの丈だけを一途に歌う男。

その真っ直ぐさにワシはいつも打たれちゃうんですよね。良い部分も悪い部分も表裏一体です。
自分の姿を見て、涙を流す泥亀の事なんか全くお構いなしで。ただ、報われる事のない、自分の恋をひたすらに歌う男。
その報われ無さに共感し、涙を流す泥亀を背中に沢山背負う男とも言えますね。

普通、こういう感じだと、冷徹に見えたり自己満足気味に見えたり。
「おっさん、いくつやねん?いい加減にしぃやー!?」って印象になるのですが。
山中さわお、いくつになっても「さわおだから仕方ない(他のことに思いが及ばないのは致し方ないことだよね)」とワシに思わせることが出来るのってのも、多分、コレも才能のウチなんですよ。

この純粋さ(とも言える残酷さ)がワシ的に興味深いですね。
本当に綺麗な世界観で。
地上のひまわりに恋いこがれる三日月。
夜には子守歌を歌ってやっているのに、気づかれることはない__と言う。

ポエティックで、ファンタスティックでありながら。
でも、実はその三日月の背後には、泣き濡れる泥亀の群れ…というオカルトめいたモノも匂わせる(なのはワシの妄想だけどw)
この入れ子構造の怪奇さ。

「恋とは常に一方通行なもの」
という山中さわお、渾身の一作。