山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

若い人のためのエレファントカシマシ案内 1

まあ、概要はコチラ→http://ja.wikipedia.org/wiki/エレファントカシマシ
で読んでいただくとして、ココではワシの解釈による、「一体、エレカシは何を聴けばよいのか!?」というお話をさせていただきます。

まず、その出会いから。
1989年頃、ワシの友人に当時、プロモーターをしている方がいまして。
その方がワシに熱弁をふるうのです。
エレカシ、すごいっ!!ライヴが特にスゴイ!!!サイトーさんも見てよ!」
しかし、当時、ワシの中のエレカシのイメージといえば、
「なんだかメンバー内だけでコソコソと団結している、内弁慶の厨房集団」というサイアクのものでして(^^;
「音楽性も小RCって感じでイタダケナイなあ、ってかこのヴォーカルの宮本ってヒト、右翼?なんか天皇陛下をあがめている歌を歌っているみたいだし?なーんか、キモチワルイ・・・・」
しかも当時、漏れ聞くエレカシのライヴの様子は、
「客電点けっぱなし」
「MCは殆ど無し」
「観客は客席に強制着席」
「拍手をすると怒られる」
「笑顔で聴いていると指さし恫喝される」等々

「いや、そんなライヴに出かけても不愉快な思いをするだけだろうから・・・・パス」
と敬遠していたんですね。
後になって振り返ってみれば、この当時の彼らの行動は全部「自分が正しい」「自分が(愚かなる)民衆を導くのだ!」という若さ故の若気の至りでやってしまっていた事であって、単純に「自分たちは音楽をやっているのだ!という自覚に欠けていたダケ」なんですよ。
(いや、本当に上記の通りなのかどうかは知りませんがね。全部ワシの「妄想」ですよ、念のため)

しかし、今改めて聴いてみると、「エレカシが如何にもエレカシだった時代」ってまさに、この頃(Epic Sony時代)なんですよ。
1stアルバムとか今聴いても素晴らしい。
全曲名曲です。
堅い青いままで、全世界を拒否しながら、自分の中だけで育てた「特殊な世界」が十分すぎるくらいに育っています。
その世界は歪んでいますが、美しい。力強い。

しかし、ワシが突然エレカシに対する評価をがらりと変えるきっかけは、この時代の直後にやってきます。
ラジオから流れてきた「悲しみの果て」
丁度、阪神淡路震災の直後で。知り合いの方も被災されたりして、とても悲しい事が起きた時期でした。