山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

鎮懐石とカラフト犬

半袖Tシャツで小割けそば食べてると、「もう、夏ね。」ってカンジですわね。
あまりに、空気がぬるくてボイスもつれて家族でお花見。
隣町の神社まで。

この神社、神功皇后新羅遠征時に(って、どんだけ昔の話しだよ)「お腹の子が遠征中に産まれてきませんように」とお祈りして、卵形の石二個を懐に抱いて海を渡り、無事帰ってこられたのでその石を奉ったという所。
その石を鎮懐石(ちんかいせき)と言いますの。(でも、誰も見たことがないらしい。ホントに奉ってあんのお?)
海辺の小高い丘にあるこじんまりした神社で、地元子供会の花見もあってて小学生多し。小学生ボイスを見て、「ねえ、この犬咬む?」と訊いてくる。「いや、大人しいから大丈夫よ。」と私。小学生共、ゾンビのようにわらわらとたかり、ボイス触りまくられる。(ボイスは公園等でいつもこのようにボランティア犬になっている)

小学生の中に知った顔発見。
「あれ?ヒサシ君?」(友人の息子。2年ぶり偶然の再会)確か、この子、先々週キックボードに乗ってて車にはねられて頭蓋骨骨折で入院してなかったっけ?いま、コイツ神社の石垣(高さ8メートル位)をよじ登って現れたぞ。大丈夫なのか?

夜、「知ってるつもり!?」を見て涙。カラフト犬タロ、ジロの物語。
実は、35年以上前の事で恐縮だが私の家にもカラフト犬がいた。
父の兄が北海道の知人から譲り受けた犬で、名前はタロウと言った。
あまりに私がタロウを好きなので「貸してくれてた」のだ。当時私は3歳くらいだったが、今でもその大きな手のひら、長く柔らかな皮毛、黒い耳と鼻先をまざまざと思い出す。

とても大人しく頭のいい犬で、新聞屋さんが尻尾を踏んでも怒らない。雨が降ってきたら折り畳み傘を見せて、「迎えに行って。」と言うと傘をくわえて駅まで家族を迎えに行ってくれる。
私に最初に犬というものを教えてくれた犬だった。
(大きな体に優しいココロ。ってとこは今のボイスもまんまそうだわ。)
犬を飼うというのは、飼い主の方もその犬の愛情と献身に答えようとするから、自然と「この犬にふさわしい、強く優しい人間になろう。良い飼い主になろう。」という気持ちになるので、人間修養には有効でっせ。