と、言うわけで。
注文してた佐野元春の旧曲のニューレコーディングアルバム「HAYABUSA JETⅠ」が届きました。
あんまり佐野元春に詳しくないワシでも知っている曲が装いも新たにニューアレンジでバンドサウンドで聞こえてくるので、非常にワシ好みのアルバムになっております。
昔からワシの口癖は「あーーあ、佐野元春のファンが羨ましい」なんですけどね(;´∀`)
つまりなんでかっつーと、なんか佐野元春って楽曲も歌詞も良くてさ(アレンジはワシの好みとは違うけど)長年ちゃんと活動してて。
「いわゆるロックの正しさ」みたいなものを(意味不明)体現しているような人じゃないですか。
少年少女のあこがれのおじさんみたいな立場っつーかさ。
そういう立場の人ってあまり見ない気がするので、そんな人のファンで一途に居られるってのがなんか「ロックファンとして羨ましいなあ」と思うわけですよ。
んで。
「この人を青春の師匠と仰ぎ見て、ロックを始めたさわおがなんで今、あんな仕上がりになっちゃったんだろうね」というのも謎ですな。
内省的な陰気なロックをやってた人がいつのまにかヤンキーの頂点?てか自分ではヤンキーの頂点なんだろうけど、それってブリリアントクラウンみたいっつーか、音楽的にも意味がない気がしますよね_という感じの微妙な現在地にいるのがなんというか。
残念無念ですね。な気持ちで見ておりますワシは。
だいぶ前に、某ギタリストさんがワシのこのブログを読んでくださったことがあって。
その時に漏れ聞いたそのご感想が_「ありがたいことです(でも内実は全く違っているんだよね)」だったっつーことがありまして。
まあ、ワシが千里眼で見た幻のブログだからここは。
確かに全く違っている事もあるし、ワシが「そんな恐ろしいことは考えたくない」と思ってて自粛している部分もあるので。
それはもう致し方ないことなのかもしれないんですけどね。
その「内実は実は違っている」という話が今から_10年以上前の話でしたので。
その頃から色々と我慢を重ねてバンドとしての活動を今年の2月まで続けさせてしまったことは、メンバーがファンの事を思ってのことか、長年続けてきた努力を無駄にしたくないという気持ちからなってしまった事なのか。
考えても仕方のなことですが、何故かワシがちょっと責任を感じてしまいます。
そこで思い出すのが某ロックスターのお母様のお父上が、子どももいるのに三味線に入れ込むあまり、ある日逐電してしまった(ソレ以降行方不明)というエピソードです。
これが何かのヒントな気がします。