山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

バンドはファンを選べない 2

「音楽に対する姿勢の不真面目さ」とワシが断言する理由は以下の理由によるもの。

・何故、バンドの力を信用しないのか?
ライヴハウスは4人でやります。でも椅子付きのホールでの演奏は音を厚くする為に、サポート入れて、ギターは3本もあります!キーボードも居ます!!」
って言うんだったら、いっその事、オーケストラでも入れてくれ。

去年、キャプテンストライダムのステージを見たのだが、ホーンセクションがゲストミュージシャンで入っていても、なんらバンドのマジックは損なわれる事は無かった。
バンドとゲストが一緒に楽しくグルーヴして、音楽の魔法を見せてくれた(そしてその瞬間にワシにはキャプテンストライダムの未来が見えた<電波)

それと比べるのも悪いが、エレカシのこのCCレモンホール(旧/渋谷公会堂)におけるこの演奏は、ゲストミュージシャンとの息も合ってないし、グルーヴが損なわれているだけで、なんら魅力を感じなかった。
ワシはただ単に、ゲストミュージシャンも巻き込んでのバンドのグルーヴを感じたかっただけなのに。

「もしかしたら、ミヤジ自身、演奏の精度を上げる事にのみ気を取られているのではないか?」
と思い至った。
確かインタビューでもそんな事を言っていたな。
「昔は、絶叫すれば観客に伝わる筈だと思っていた。でも今、違う」みたいな事を。

確かに、歌は巧くなっている。
細かいテクニックを駆使して、表現力は上がっているけど、でも、それは表面上の事だけの事。

「音楽を小手先でどうにかしようなんておこがましい!」
と、失敬ながら、ワシは立腹した。
だって、エレカシの曲って、そんな「テクニックさえあれば伝わる」というタイプの曲じゃないでしょ?
もしかして作った本人が一番気がついてないのも、実はココだったりして?

その作った曲を、心から信じていて。
その曲を作った当時の感情も、全部自分の本物のまま、本当の姿だと、信じきる事が出来ているのだったら、たとえ音はスカスカでも、自分の全身全霊で演奏してこそ、人の心に届くんじゃないかな?
テクニックがどーとか、アレンジがこーとか。
そういうのは、全部表面上の事だけでしょ?

その曲を作った時の気持ちが新たに演奏するたび甦り、自分の感情をまたその頃へと押し戻してくれるのだったら、多分、その曲は「本物」なんですよ。
その曲は常に更新され、永遠に輝き続ける事が出来るから。