山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

人生の師匠

昨日の悲しい知らせをまた思い出しては、また、涙ぐんだりしている。
ホント、人間って明日はワカラナイなあと思う。
明日はある。希望はある。と思って毎日、暮らしているのだけれど、こんな残酷な現実を見せつけられると、怖くなってくる。

とりあえず、愛する家族と一緒に暮らしている今の生活は、ビンボーとか具体的な問題は多少あるにせよ、「とっても幸せ」コレは間違いのない事実。
でも、この暮らしだって、「明日の保証」なんて無い。
子供を残して先に死んじゃうって事だって人間にはあり得るし、「いつかは●●に行きたいなあ」なんて長年思っていても、夢を果たせないウチに人間、死んじゃうってこともあるわけで。

そんな事を考えながら、ボイスと散歩する。

でもガス屋のオジサンはワシに良いことを教えてくれた。
「人に親切にしておけば、死んだときに泣いてくれる人が居る」という事実である。
コレは簡単なようで居て、難しい。
案外人間というのは、ヒマもないし(特にビンボーだと)、ココロに余裕もないので、人に親切にするという事がナカナカ出来ない。
ので、たいていの人は自分のことに精一杯で、クソッタレのままその一生を過ごし、死んでも「あ、そう、あの人、死んだの、ふーん」くらいでその人生を片付けられちゃう。
まあ極端な言い方だけど。

葬式に来ている人も形だけ、つきあいだけで来ているので、ココロからその別れを惜しんで泣いている人が少ない葬式も沢山見てきた。現に。
でも一方では、オジサンみたいに、淡いつきあいであったワシみたいな人にまで、その死を惜しまれて、泣かれる人もいるという事実。
この差。
「ニンゲンの価値って結局はその人の人柄だよなあ」とシミジミ思う。
その事を教えてくれたのが、ナニゲにこの10年間、つき合ってきたガス屋のオジサンだったという。
思わぬトコロに人生の師匠は居るモノである。と、改めて思う。

美人妻Jさんから電話。
インフルエンザで半死状態らしい。
「オトナの病院はドコにかかっているのか教えて??」と言うSOS電話だった。
かかりつけの病院(夜中でも診てくれる)を教えて電話を切る。

夕方は生協、近所のMさん、インフルエンザでこの4?5日、半死状態だったらしい。
「もう、日常の動作だけで息切れがするの」とおっしゃる。
実はこのMさんと美人妻Jさんは小学校の同級生、幼なじみ。
奇しくも二人は同時にインフルエンザなのだった。