山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

葬式@近所

明日だと思っていた葬式が、今日だった。
ボイスの散歩に行く途中、二軒先の家のお爺さんに会ったので、話を聞く。
例のお爺さんは心不全で、ホントに突然、亡くなったらしい。
あまりに突然なので、近所のヒトもキョトンとしている。

心不全で亡くなる人ってホントに突然、目の前から消えて居なくなるので、キツネにつままれたような気になる事が多い。

数年前、知り合いの方が、間近にお話した翌々日に、突然心不全でお亡くなりになった事があった。
その時も、葬式に出席しながらも、ワシ自身、全然納得がいかなかった。

まだ、最後に話したときの手応えというか、生きている余韻が残っていて、目の前で死んでいるのがその人だという実感が全く湧かなかったのだ。

未だに、その人と最後に話した場所を通ると、その最後に話したときの記憶が甦って、その時の手応えというか、対応の時の雰囲気がシッカリ感じられて、その人がもうこの世にいないというのがひたすら不思議に感じられる。

自分が年を取ると、死んだヒトに知り合いが増えて(?)なんともイヤハヤ。

午後に子鬼を幼稚園に迎えに行こうとしたら、丁度出棺の時刻とぶつかってしまい、山道の途中が霊柩車と会葬者の路上駐車のクルマと最後のお別れの人の波で埋まってしまい、全然動けなくなってしまった。
20分ほど駐車して、会葬者のみなさんと一緒に(クルマの中から)お爺さんの最後を見送る。

この集落の葬式には出席したことがないので知らなかったが、出棺は近所のヒトが担いで霊柩車に運ぶのだ。
思わずビックリする。
親戚の葬式に行くと、出棺の時に担ぐのは親戚のヒトが多いモノなので、これは大変に意外だった。

ってことは、近所のおじさん連中はこの集落の葬式に出席して棺を担ぐために会社を休んだのである。ビックリ!!
都会では絶対に考えられない事である。
まあ、近所に住んでいるのだし、これだけヘンピな山奥なのでみんな血縁関係にあるのはあるんだろうけど・・・・

泣いている人が極端に少ないのも意外だった。
(ドッチかというと最後のお見送りの時も談笑しているヒトが多い)
会葬者は多いが心のこもってない葬式であった。
葬式も表面的な交際の範囲と言うことか。

「出席した」という事実さえあれば、現場では笑っていてもイイのだな。
う??む、クールだぜ(皮肉)
それでも、最後の霊柩車の長いクラクションの音には胸を突かれた。
涙がにじんだ。