山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

英語版ウィキに唸る

ふーむ。という訳で最近、気になるのは「日米の知識層の絶対的な格差」を感じるって事です。
英語版のウィキ(ペディア=wikipedia=使う人が自由に書き込めるネット百科事典)を読んでいるとそういうのをシミジミ感じます。
日本語版のウィキも当然ある訳ですが、つまり、コレに書き込んでいるのは「普通の日本人」な訳ですよ。
(当然英語版ウィキに書き込んでいるのは、「普通の英米人」な訳です)

すると、ですね。
なんというか、「書き手の意識の差」みたいなものを実に感じてしまうのです。

日本語版はまあ、ワシは日本人ですからまず、日本語版を読む訳ですよ。
すると、モノによってはかなり全方位に向かってちゃんと書かれているページもある。あるんですけどね。
でもおおむね「情報の偏り」が見受けられる気がします。

「いや、その情報より、もっと書くべき情報があるだろう?」と思わず書き込みたい気分にさせられます。
(は!それが「テ」なのか!?作戦?)
やたら情報は多いが、本当に必要な肝心な情報が書かれてなかったりするわけですね。
どうかするとどうでもいいような、無駄な情報ばっかりが書き連ねてあったりします(そして読んでゲンナリします)

「うむ、ピントがボケちゃっている」と感じる瞬間です。
そこで気になって、思わず英語版でも検索してみる訳ですよ。
すると。
「うわ!簡潔!!しかもちゃんと重要なポイントは抑えてあるし!」と感動する事が多いですね。
日本人と同じく、ココでも書き手は「普通の英米人」な筈なんですけど。

簡素、簡潔にして明快。
しかも、「書かれるべき情報」はちゃんと書かれている。
何度、英語版ウィキに助けられたか判りません。

これは単純に、情報選択能力の差でしょうか?
英米人は日本人より脳みそがシャープに出来ているんでしょうか?まさか??
それとももっと根本的な、圧倒的な「平均的知識層(つまり「一般市民ではなく」)の格差」なんでしょうか??
日本人はもしかしたら、「殆どの人間が大学に進学する」という事と引き換えに、なんだかトンデモナイ事態(ワシも当然含めて)になっているのかもしれません。
そんな気がしてきました。

「自分ちの子供の育て方も考え直したほうがいいのかもなあ」と思える瞬間です?