山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ヤデヤデ・・・・(東海林さだお風に)

せちたろーの「宿題問題」に関して、夫婦で担任に会うことにした。
直接会って、事のなりゆきを担任の口から直接聞こうという主旨。

どうも、この問題、根底にはせちたろーの「先生が嫌い」(クラス全員の前で恫喝された恨みから)というモノがあるようだが、ソレを親に隠すために嘘を突き続けていたというのには、やはり問題がある。
(自分が先生を嫌いな「悪い子」であるというのを親に隠したいという気持ちからの行動らしい)

オトナになって考えてみれば、小学生時代の一時期、担任が嫌いで「困らせてヤレ」とばかりにワザと宿題をしてこなかったり、その事実を隠すために親に嘘をついたということは、「とるにたりない事」になるのかも知れないが、やはり、ココは親として、「理由はあるにせよ、嘘をつくのはルール違反」という事でキッチリ絞り上げなければならない。

とりあえず、今までやってこなかった分の宿題を一気にやらせてしまう。
漢字6ページ、算数ドリル8ページ。
深夜の1時過ぎまでやらせる。

「宿題をしない」という行動の理由の1つには、せちたろーにすれば、「ナンデ授業が判っているのに、こんな事やらなければいけないのよ?」という気持ちもあったのだろう。
学校での授業の復習なんてアホらしい。と考えているフシもありそうだ。
う?む。でも、その考え(授業だけ聞いていれば全部ワカル)も高学年や中学生になれば通用しなくなるときが来るのだが。

「その時になって本人が吠え面かけばイイか?」と一方で考えるワシもいる。
本人が気がついて判らなければ、ホントにワカッタとは言えないと言うコトだってあるのだから。
それまで気長に、「鳴くまで待つ」という作戦だってあるはずなのだ。

しかし、「親である」という事は、ホントに「我が目が曇る」事である。
その時期まで待てるか?と自分に冷静に聞いてみても、「そこまで見守る辛抱がありましぇえええん!」と泣き崩れる自分がいる。
いつもの「冷静な判断」「鬼のような決断力」を誇るワシは消えてしまう。
まったく、「親である」という事は難儀である。

子鬼はお姉ちゃんが怒られているのを見て、悲しくなってわんわん泣く。
お姉ちゃんを抱きしめて、「怒っちゃダメー!」とお姉ちゃんをかばう。
普段あれだけせちたろーに邪険にされているクセに。
う?む、羨ましい姉妹愛である。