山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「普通の女として生きる」幻想

少し前にラジオで某N町さんという著述家の方?がご自身の性転換手術を受けた経緯を話されてまして。
そこでワシが一番驚いたのは、「別に積極的に女になりたいわけじゃなかったけど、男としてスーツを着て就職し、男の戦場に参加するのが単純に嫌だった」みたいなお話をされてまして。

ワシとしては手術を受けて性を変えたり、戸籍まで変えて、まるっきり「女として生きていく」というのは相当な覚悟がいることだよなあ_と、呑気に思っていたので。
「そうか、大した理由がなくても性を変える人っているんだ!!」ととてもびっくりしたんですね。
まあ、男に生まれたからには大学を卒業する頃になれば、それまでは性別も不明で中性的な可愛かった見た目の人だって、どうしても骨格はゴツくなってきて、なんとなーく全体的におっさんぽい風貌に移行してしまうんですよね。

自分の中性っぽい見た目が気に入っている人にとってはそれはたまらない拷問にも近いようなものだったんだろうな_とはワシは想像はできますが。
だからと言って、実際に性別適合手術を受けるってのはまた別の話で。
睾丸を取ればホルモンバランスは崩れるし、高価な女性ホルモンの注射をし続けなければまず見た目が別人レベルにまで老け込んでしまう。
その注射を手術後何十年にも渡って続けられる収入やら、親戚やら親兄弟、世間にそれを詮索されても揺るがない鋼の意志のある無しとか。
考えてみれば、「いやー無理だわそれは」なことばかりで。

だからこそ、そこには「絶対に女性になるのだ」という強い意志がなければ無理なんだろうな_と思ってたわけですよ。
それをこのラジオでのお話は覆したという事。

そうしましたら先程、ツイッターにて性別適合手術を受けた若い男性のツイートが回ってきまして。
摘出した睾丸の写真が添えられておりました。

その方も自分が二十歳を超えてどんどん見た目が男らしくなっていくのに耐えられなかった模様です。
「普通の女として生きたいだけなのに」ともおっしゃっておられました。

さてそこでは問題です。
「普通の女として生きる」を答えよ。1000文字以内で。
とかなったら混乱必至ですよw

昔なら年頃になれば結婚して子供を持つってことが「普通」だったんでしょうけど。
さて今は?
そんなこと言ったら袋叩きですよw

でも、この手術を受けた方はそう願っても単純に「無理」ってことですし。つまり、彼女が主張する「普通の女として生きる」はワシが感じている「普通の女として生きる」と同じ意味じゃないんですよね。

ワシも一応女(おばさん)として生きてますが。
基本、金がないのでキラキラはしてません。
仕事も泥にまみれて最底辺をずるずる這い回るような仕事なので、よく死んだ目になってます。

しかも、さっきまで冬用の敷毛布、掛毛布、全部まとめて洗うために化粧もせずにジャージ姿で車に毛布を束で積み込んで、コインランドリーに出かけてきて。
洗濯機が回っている間は近くのホムセンに出かけて、テレビ台をどうするのか問題を悩んでおりました。
店内で30分ほど悩んで、洗濯機が止まった頃合いを見計らいコインランドリーに戻って、毛布を洗濯機から引っ張り出し、車に積み込んで家に戻り。
朝に干してたお布団類を取り込んでベッドにセットし、入れ替わりに洗ってきた毛布をウッドデッキに干して回りました。
その後は軽く庭の鉢植えを見て回って、時期を過ぎたものは植え替えて、庭に水をまいてお昼ご飯にしました。

多分、「普通の女として生きる」ってのは↑こーゆー事でして。
キラキラ女子が仕事にやりがいを見出して社会で輝いたり、恋に遊びに八面六臂に活躍するなんてのは絵に描いた餅なんですよ。
しかも女には女の戦場もある。
女だからって舐められないようにタマには「ガルルルルル」と周囲を威嚇したりして、それでも普段はにこにこと親切で善良な女でやっていく。
つまりそんなふうな「普通の女として生きる」ってことじゃないんだろうなあ…と思ったことでした。