山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

事実は小説よりも冒険小説風味

ネットの海をうろうろ泳いでおりましたら…
実に不可思議な物語に出会いました。
その物語に曰く↓click!

肥後の猛婦 武者んよか 林田民子

つまり、話を要約するとこうです↓
・明治37年熊本に林田民子という女性が生まれる。
アメリカに移民した日本人男性のもとに「ピクチャーブライド」(面識はなく、写真だけで決めるお見合い)として25歳の時に嫁入りする。
・その渡米する船の中で柔道家の太田節三(彼もまたトンデモ人物)と知り合い、渡米中と渡米後に彼から柔道を習う。
第二次世界大戦が始まると、アメリカでは排日運動が高まり、太田と林田は戦時中から「世界平和基金財団」を結成し戦後処理に奔走することになる。
・1945年9月2日林田民子はホワイトハウスに招待される。その場で林田民子はトルーマン大統領の原爆投下を厳しく批判。
そのまま一本背負いトルーマン大統領を投げ飛ばす(ーー;
・慌てて割って入ったスティムソン陸軍長官も一本背負いで投げ飛ばす(ーー;;
・さすがにボディーガードが銃を発射。林田民子は胸を撃たれる。
・が、幸いなことに命は取り留めて、その後彼女の師匠であり彼女をホワイトハウスに伴った本人である太田節三と一緒に収監される。

どう考えてもフィクションなんですけどこの話…
こんな冒険小説の主人公みたいな人生がありましょうか?(いやない)

ところが調べてみればみるほどこの話、面白いんですよ!
一応史実らしいのですが、ほぼ消し去られている。
そもそも太田節三とは何者だったのか?
こんな記事を見つけました↓click!

米国で大富豪になった柔道家太田節三

何故、柔道家である太田節三がホワイトハウスに招待されるような人物だったのか?の謎がとけます。
しかもこの太田節三氏。
その後も結構長生きして、田中角栄との親交もあったトカナントカ…

なんかエピソードがすごすぎて目眩がするんですけど(ーー;
戦前の日本人には驚かされる事が多いのですが、この太田&林田師弟もまた。

しかもこの太田節三が大富豪のリーン・バンニングを口説いた時のセリフも最高です↓
小娘にはない濃艶なあんたとお金と両方がほしい

…ぐうの音も出ませんなw