山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

路上のピクニック

原発事故以来、「日本人はもうこの放射能と共に生きて行くしか道はない」という事を何度も繰り返し思い知らされておりますが。
ヒドイ話だよねえ、事故後60日も経ってからのようやくのメルトダウン宣言。
事故後、すぐから一部学者の間では「メルトダウンが起きているのではないか?」って言われてたのに。
「そんな事はない」と繰り返しマスコミでアピールし続け。
石棺ならぬ水棺にしますって言いながらの、「震災でパイプやら格納容器は割れたりしててダダ漏れなのでは?」という
意見も封殺して。

まるで「絵に描いた餅」みたな理想的な工程表を出されて。
ソレを信じろと、大本営発表を、エコエネルギータウンが高台に出来る日を夢に見てその日が来るのを信じろと。
言われ続けて目隠しされて、更にこの状態を耐えろ、忍べと。

ニヤニヤ笑いの総理の音頭で行進を続けるこの国の行き先は一体どこなのでしょう?

あのスリーマイル島の事故ですら、汚水の処理には14年かかったというのに。
福島はいまだ何処ともわからぬ場所から依然、どうどうと汚染された水を海に垂れ流している状態(破壊された建屋からは空気中に)
福島の事故に比べたら、スリーマイルの事故なんて…というのは既に皆さんご存知の事。
ワシが言うまでもない。

まるで整備された路上でやるピクニックみたいなものですよ。

原発事故の後、汚染された土地で育った巨大なたんぽぽを歌った
パール兄弟の「たんぽぽの微笑み」

がなんとも牧歌的に聴こえることか。
毎日が前人未到すぎて、メルトダウンくらいじゃまるで驚かなくなった自分に改めて驚いております。

♪よごれっちまった、か〜〜なしみにぃ〜〜〜♪
(↑山口にある中原中也記念館に行くと、この歌がレコードで聞けますのよw)

※追記
武田先生のブログを読むとちょっと安心できますよ。
もう既に出ちまった放射性物質とどう我々は付き合って行くのか?
「生きるヒント」を繰り返し説かれておられます。