山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

相撲について考えるワシ

大相撲の八百長問題…。
昔、結構熱烈な大相撲ファンだった時期がある(<a href="http://ameblo.jp/kyoku88/">旭道山ファン</a><「南海のハブ」と言われた力士。軽量ながら常に正攻法で傷だらけで戦う姿に感動)ので(告白)寂しいですねえ。
まるで準反社会集団のような今回の醜聞…(´д⊂)

しかし、違和感があるのは、相撲が格闘技として位置づけられている事なんですが。
怒られるの覚悟で言えば、「お相撲は神事だし…」と言ってしまいたくなります。

武芸、武術という側面もあったにせよ、もともとは神事なんだし。
ワシのイメージとしては、ダイダラボッチに近いというか。
その土地を象徴するような名前(四股名)をつけた、人からちょっと並外れた体力と体を持った力士が一同に集い、がっぷりよつに組んで相撲をとるなんて。

ちょっと想像するだに<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%93%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%83%A9_%E5%8D%97%E6%B5%B7%E3%81%AE%E5%A4%A7%E6%B1%BA%E9%97%98">「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
」</a>の趣があるとは思いませんか?

…思わない?あ、そう…ですか…(ーー;
<B>ワシはそう感じるのよ!!</B>

その土地の産土神の化身というか。
巨体を持つ歳若い男が、自分の人生を相撲にかけて精進努力し、人ならざるものとなって、神聖な土俵で真剣に戦うという。
そんな感じを受けるのです(ワシのいつもの妄想ですが)

なので、実際の勝負は実はそんなに関係ない(暴言)
なんなら勝ち負けが予め決まっててもなんら問題はない。
そこにお金が絡むとなると「それは違う」んですけどね。

例えば。
加持祈祷のたぐいで、「今年は遠洋漁業があまりふるわなかった。来年は是非とも豊漁を祈りたい」という結果が出たなら。
その通達を大相撲協会に送り、「じゃあ遠洋っぽい名前の力士に勝たせましょうか?」って話になる。
ところがその一方では農業従事者の方々から、「今年は天候不順で豊作が望めない。来年は是非とも恵まれた天候で豊作を祈願したい」という要望が来たりして。
「じゃあ、豊年満作っぽい名前の力士を勝たせたいですね」という話になり。

千秋楽の優勝決定戦は「把瑠都」と「豊真将」のガチンコ勝負となるのだった!!!
…というのは実は「有り」だと思っているんですね…