山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

マガジン解散の経緯

ハワードがロンドンのステージでジョンを讃える。
泣けるなあ(´д⊂)
http://www.youtube.com/watch?v=yD8AQ8EKj8E

ジョンは居なくても、ジョンのギター(ヤマハSG)が歌っている。

コレを見てて思うのは、
「本当に厳密な意味で、ジョン・マクガフの影響を受けていないギタリストなんてこの21世紀のロック界には居ないのかも?」
と言うこと。

バンドが30年の時を経てまた再び集まるという、この奇跡。
なんか、感動しちゃうなあ。やっぱり行きたかったなあ、マガジン再結成ツアー。
イギリスまで行きたかった。

最近、こうやって再結成ツアーをしているおかげで、ネットやら一流紙でもよくマガジンが取り上げられてて(英国限定)、おかげさまで、マガジンが解散した経緯も段々判ってきましたよ。
(リアルタイムでは「あれれ?なんか最近、マガジン、変じゃない?」と思ってたら、「解散した」の一文が海外音楽ニュースに載っていただけで…その後、音沙汰無しになり、気がついたらハワードのソロが出ててむにゃむにゃ_ま、昔の洋楽ファンなんて可哀想なモノよ。滅多にライヴも見られないし)

そもそものきっかけは、USツアー中にハワード・デヴォートの父上が亡くなった事のようですね。
ハワードはその衝撃が強すぎて、ツアーどころではなくなってしまい。
ソレを見たジョン・マクガフが、「このバンドを続けるのは無理」と観念したのが__どうやら解散の直接の引き金になった模様であります。

ただでさえ、傷つきやすくて繊細な人なのに。
まー、当時はみんな若かったし、ジョンは奇行で有名な人(それもちょっと心の病的なヤバイ部分を生来持っていた気がする)でしたので、色々上手くいかなくなったんでしょうなあ。

「若さ故に叶えられない夢もある」
とは、ピロウズのオリジナルメンバーが久々に集結した写真(PIEDPIPER Tour東京公演初日後打ち上げの様子)を見たワシの口から出た正直な感想でしたが。

ココにもその悲劇があったんですね…

ハワードはその後、ソロを経てラクシアというプロジェクトをやるのですが、ココでも「財政的な問題のためだけに音楽をやる」という事に我慢が出来なくなり、結局、音楽業界そのものを引退(@1990年)してしまんですよ。

「全てタイミングが悪かったんだね」としか言えないこの間の悪さ。
でもソレを乗り越えて、今、再び輝く姿がある。