山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

珍しくテレビ三昧

夕方から延々と教育テレビを見続けるワシ。

先ずは「スーパーレッスン」
老練の芸術家が、若き後進の指導にあたる_という「マスター・ヨーダ」な番組。
たまたま見てたら、この日の放送はバレエの回でしてね。コレが面白かった。
若手のダンサー(男子)が踊るそのモダンダンスの振り付けは、「まるで徒手体操」みたいなんだ(カクカクしている)けど、「マスター・ヨーダ」が全く同じ振り付けで、「ココはこういう気持ちで動いて」とか指導すると、見る見るその「徒手体操」が「近代バレエ」に変身するんですよ。
流れる水のように、吹き渡る風のように、人間の一個の肉体が、動きざわめき、流れ、素晴らしい音楽を奏でるんですよ!
「うわ、スゴイ!」と、思わず感動するワシ。

続いては福祉関係の番組。
「誕生死」
これは実際、母親になってみると判るものだが、まさに五体満足で子供が産まれてくるという事がどれだけ「奇跡」というあやふやなモノによって成り立っているのかという事。

普通に健康に生まれて、母子ともに健康で、子供がスクスクと育つという。
たったこれだけの事がどれだけ難しい事か。
未だに今世紀になっても、この日本で、出産で死ぬ母親もいるし、子供もいるという事実。

「誕生死」(死産)という事実は関係者一同が決して多くは語らないし、病院側も基本、「生まれてこなかった命」という事で即座に片づけてしまうので、なかなか表面に出てくる事はない。
しかし、実際に自分が母親になってみれば、自分の廻りにどれだけこのツライ、悲しい体験をした人が多く存在するかを知って愕然としてしまうのだ。

生まれてこなかった我が子と共に生きるという事。
母親なればこそ。の悲しい深い愛情に打たれる。
しかし、生まれてこなかった子供に「ななし」と名付けるのは如何なものか。

夜はNHK総合に切り替えて、「この子らを光に」を見る。
知っている人は知っているが、ワシは10年近く、知的障害者の施設に出入りしていた。その現場の事も、多分、普通の平均的な日本人よりは知っているつもりである。
そんなワシでも結構ヘヴィな内容で。
「う、ツライ」と感じたら、慌てて「愛ルケ」にチャンネルを切り替える。

「どバカな色情狂二匹の妄想話」が爆笑モノで、涙を流して笑う。
で、笑いに飽きたら「この子らを?」に再び切り替える。
シリアスに気持ちが振れ過ぎたら再び「愛ルケ」へ。
全く不謹慎な視聴者である