山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「被写体」2

と、言う訳で「被写体」を読んで判った事=「やっぱりあのラブシーンはガチだったんだな」(確信)
三浦友和氏本人が書いてる事を要約するならば、
「最初の頃こそ仕事でセリフを言ってただけだった筈だが、いつのまにかそれがお互い、本心を口にする感じになっていた」って事らしい。
「うーむ、やっぱりアレ(ワシが思わず赤面するくらいの、生々しいラブシーン)は、そういうワケだったかのか!!」

大人になると色んな事が判って面白いなあ(多分、子供の頃、リアルタイムでこの映画を見ていても、「この二人本当にデキテやがんだなあ」<下品!とかは思わない、ってかそもそも「気がつかない」って気がするのけどね。いや、勿論、この「天使を誘惑」は百恵友和の「交際宣言後に封切られた映画である」ので、そこんところは子供ながらに「(コレが二人の、そうなのか?)生唾ゴックン」状態で食い入るように見ていたカモだが<いや、やっぱりソレは無い。真実、リアルタイムではワシは百恵にも友和にも興味が無かったし。あ、訂正。友和にはあったかもだ?「薔薇族の表紙そのまんまの顔の人だなあ」と常々興味を持ってその立ち振る舞いやファッション、髪形には注目していたので)

あ、なんかもう日記だからってどうでも良い事を散々書き散らしているな、ワシ(--;
ま、「被写体」を読んでて面白かったのは、つまり、「映画制作の現場」というのが基本、「大人の社会」であり、その中で若い二人がスタッフに見守られながら愛をはぐくんで行った…みたいな部分だった。
つまり、「普通の芸能界」(というか「歌謡界」?)とは一味違う、完全なアルチザン(職人)集団、人生上も仕事上も大人な人(映画制作現場スタッフ)たちに守られて、共演作を作り続ける中でゆっくりと愛が熟成されて行った…という部分が「なるほどー」と興味深かった。

勿論、二人で散々ラブシーンを演じて、お互いの目の中を覗き込み合って、愛の言葉を囁き合っているウチに「なんだかもしかして愛が芽生えちゃった?」って部分もあるのかもしれないが、しかし、当時、散々噂されていた(ワシの記憶が正しければ、取材合戦は凄かった筈だ)よりももうチョット「普通に真摯な感じ」な恋愛だったのが、好印象であった。