山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

サム・ライミを語る9

で、その結果。「スパイダーマン」は商業的にも大成功を収め、サム・ライミはホラー映画の監督から(というイメージも相当過去のものなのだが、いかんせん出自は常について回るものなのだ)「ハリウッドを代表する売れっ子映画監督」へと変貌を遂げる。
スパイダーマン」は、「運命を受け入れろ」というなんだか「文芸作品?」みたいなキャッチコピーだったが、確かにその内容は途中までは、「イタリアンリアリズム?」なもので、「気合いの入った貧乏表現」が素敵だった(「つましくも心暖かく暮らす大都市の下町の人の暮らし」というのが丁寧に描かれていた)ので、その重めのコピーもよく似合っていた(主人公の苦悩ブリとかと)

しかしまあ、こんな興行的にも芸術的にも(多分)こんなに成功した映画を撮ってしまっては、ライミはこの先、何処へ行くのだろうか?とヒトゴトながら心配になったが、それは全くの杞憂であった。
ちゃんと「スパイダーマン」の世界に落とし前をつけに来た。
しかも更にその世界をパワーアップさせて。

「市井の人の善良さを讚える映画」は数多あると思うのだが、ソレを「プロバガンダ的に利用する映画」も同時に存在する訳で。
この「自己犠牲」というモノは全く厄介なもので、讚え方が難しい。
「労働者階級諸君!地球を救うのはインテリでも政治的権力者でも無い!君らだー!!」と単純に叫ぶ映画になっちゃうと、それは「アルマゲドン」になる(お好きな方、失礼)ような気がする。
そしてその労働者階級諸君を「おれっちの国を守るのはやっぱりおれっち達だよな!?」とその気にさせておいて。
果たしてなんかよく判らないままに持ち上げるだけ持ち上げておかれたならば、「その落とし所って何処なのよ?イラクかよやっぱり!!」みたいな。
うーん、難しいけど、例えて言うなら「そんな感じ?」がするのも事実なのよ。

そのような部分が「スパイダーマン2」に全然無いか?と言われれば、「似ているような部分もある気がする」のも本当の気持ちなんだけど、でもココにはもっと素朴な。
なんと言うか、宗教的なバックボーンを持つ人独特の「自己犠牲の観念」がココにはあるような気がするのだ。
もっと、何だろう、9.11での倒壊するビルに救出に向かった消防士たちとか。
そういう者に対するシンパシーとか尊敬とか。
「普通に生きている人が一番尊い」という精神がココにはちゃんとあるような気がする。