山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

サム・ライミを語る3

そして一方その頃、南半球のスプラッタ男=ピーター・ジャクソン監督は「乙女の祈りhttp://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=1027(1994年)を撮っていたのだ。
コレにはタマゲさせられた(本当に大いにタマゲタ)
あまりにも素晴らしい作品で、ひっくり返っちゃった。
スプラッタからどういう経緯でこの世界へ(絶妙な乙女の心理分析<しかも中年の男性監督が!)行ってしまったのか、そこがあまりにも不可解で首をひねり過ぎて疲れた。
(しかし、アレは今になって考えてみれば、ジャクソン監督の妻である脚本家のフランシス・ウォルシュのパーソナリティのおかげである)

しかもこの「天国の王国の住人」たる乙女達の夢見る世界の幻想シーンのスゴイ事!
奇怪でロマンチック、安っぽくて重厚。可憐だがエロい。
この相反する不気味な、「コイツラ何考えとんねん!!」な世界を、見事に映像化して見せた。
この時、「あ、シマッタ。コイツなら『指輪物語』の映画化をやってのけるかもしれない」と云う予感があったが、それは後々、現実となってしまう(<ってこの書き方だったらまるで、「恐れていた事が本当に起きてしまったのでございます」@岸田今日子口調だな)

そして同年、ライミ監督は「未来は今」http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=290の脚本を書く。
この時に、「あれ?ライミ監督って私が思っているヒトとは別人なのかも」と感じた。
たしかに以前から喜劇っぽいセンスは持っていたヒトだが(笑えるスプラッタ映画の発明者であるし)、それがこうもウェルメイドなハリウッド喜劇を作って見せたというが困惑の原因。

「この人…どーいうヒトなの?」と首をかしげざるを得なかった(映画は確かに面白かったが)

そしてその次が「クィック&デッド」http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=2(1995年)
シャロン・ストーンがばっちい埃まみれのロングコートで、全然色っぽくなく(この時代のシャロン・ストーン_「ハリウッドセクシー」の代名詞だった時代の_の筈なのに!!)、ハードボイルドに登場する映画です。

世間ではこの映画、大層評判が悪いが、実は、ワシは大好きなんです(ぽ)
なんと言うか、マカロニウェスタンを見て育ったヒトが、一生懸命マカロニウェスタンの再興を祈って作ったバカ映画という感じで、「嫌いにはなれません」(断言)