山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

折れた魔法の杖

さて、普通の日記。
明日から期末試験なのでオネエチャンは家にこもってお勉強。
すると午後になって、コオニタンの大事な「魔法の杖」が折れちゃった(オネエチャンと奪い合いをして、もみ合っているうちにポッキリと真ん中から折れちゃった)
「魔法の杖」って言ってもね、実際はなんだかヘッド部分にキラキラがついた、一本400円ぐらいの「王冠とセットになったアクセサリーの一種」なのよ。

「買い直してー」と号泣するコオニタン。
「わかったわかった。買いに行こうね」と宥めて家を出発。
売っていそうな店を3軒ハシゴするが、ドコででも入手できなくて断念。
代わりにシルバニアの「ウサギの赤ちゃん」を購入してあげる(ウチにはオネエチャンが使っていたシルバニアの小さなセットがあるので)
コオニタン、ニッコリ笑いながら、
「今日はコレで良いけど、今度、ちゃんとした魔法の杖を買ってね」と言う。
てめえ、結構な悪女だな。

なんだか一日中、変なメールにつき合わされてグッタリした一日だったが、もうどうだってイイヤとかなり投げやりな気分になる。
「もうネットの知り合いなんかいらん」と全方向に喧嘩を売りたい気分になる。
勿論、「ネットの大切な友達」もネット関係、多数いらっしゃるのだが、それってやっぱり希有な存在だと思う。

あくまで全ては憶測とセルフイメージの逸脱。
自己愛と自己欺瞞の成れの果て。
自己憐愍と言い訳だらけの腰抜けの群れ(いや、勿論、私だってその一員)
なんかもう面倒くさくて(そんな思いに捕らわれる自分自身の時間も惜しくて)全てを投げ出して、リアルの友達とだけ付き合っていたい!という思いにとらわれる。

うーむ、コレも木の芽時のせいなんだろうか?

年をとる毎に世間が狭くなっていく気がする。
でもソレは多分、仕方がない事だ。
自分の価値観に合わない世界を拒否していれば、当然、世界は狭くなる。
こんな自分勝手な我がまま放題はもとより承知の上。

「自分の世界で自分が気持ちイイ事だけしていたい」(下妻物語の桃子談)

まあイイヤ。
自分にいい顔して話し合わせて同調してくれるくせに、その実、全然心は裏腹みたいな人とつき合うのはやはり時間の無駄。
そんなつき合いを望んでないのは自分でも判っている事なんだから。

あまり老母に心配をかけるような日記は書くまい。
(いや、何度も言いますが、この日記ってフィクションですからね)