山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「浅間山荘事件」・2



当時は(ワシの記憶が正しければ)あのテレビ中継は、「生放送で人の生き死にを見られる!」という一種の見せ物的な色合いが強かったと思う。
当時はそんな「物見高いオトナ」もイヤだった。
「おぉ、ホントに死んだ死んだ、わはは」という品性下劣な見方をする人も多かったはずである(小学校から帰る途中、近所のオジサンが、「早く帰ってテレビ見ないと、面白いのが終わっちゃうよ!」とワシに言ったので、慌てて帰ってみたら、この浅間山荘事件の生中継だった)
そしたら、この「プロジェクトX」でも当時、この事件現場を一目見ようという野次馬の車の列で渋滞が起きたと言っていた。
まあ当時は、そこで一体、ナニが起きていたのか詳しくは誰も知らなかったのだから無理はないとは言え・・・

事件後も「殉職した警察官みたいに、他人のために命を投げ出すのはクダラナイ」という意見も聞かれたし、「学生運動なんかするもんじゃない」という意見も聞かれた。
つまり、攻めるも守るも(ドチラが攻めるで守るなんだ?警察=「治安を守り、テロリストを攻める」学生運動家=「主義を守り、享楽的な世間を攻める」?)ドチラにもなんの「お手本も見つけることが出来ない」状態だった気がするのだ。

しかし、今になって見返せば、殉職した警官は貴い犠牲であり救出に手を貸した人々の勇気は称賛に値するのだ。
この事件の(言葉は悪いが)総括(!)は実は今の今までなされてなかったのではないか?
結局はこの事件のセイでワシら(1960年前後生まれ)は「世代的なロールモデル」を見いだせぬママ、「時代の孤児」となる。
ちょっとだけ、「恨み節」を言ってみた。

夜、天本英世の「日本への遺言(メメント)」を読む。
ナント、天本英世は戦争中、学徒動員で熊本の軍需工場にいたのだ。
実はこの場所こそワシの母校(高校)が今、建っている場所。