山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

バルテュス、「盗聴」、「恋の奴隷」「愛の奇跡」

日曜美術館バルテュスの特集をやっていたから、少し観る。
う?む、作家本人と作品は別物だ。
まさに、人間というのは神によってもたらされる(与えられる)モノ(才能)の「器」にしか過ぎないことを改めて思い知る。
人間はタダの「イレモノ」。
そこにナニが注がれるかは、全くの神の意志に他ならない。
しかも、その注がれる中味が「史上最悪の連続殺人鬼」だったり、「音楽の大天才」だったりするわけだから、まったくもって油断ナラぬ。

ボイちゃん散歩。
例年この季節、北側の「山コース」にはハンターがウロチョロいるので散歩に行かない様にしているのだが、今年はこのコース沿いにある町民グラウンドで週末、早朝野球をやっている。
そのせいか?ハンターをほとんど見かけない。
グラウンド横の重度身障者の施設もここ二ヶ月ほど、屋根の葺き替え&水回りの大工事を夜もやっているので、イノシシも下りてこないようだ。
ヨキカナヨキカナ。
オカゲで安心して散歩が出来る。
でも、「イノシシが消えた」というワケではナイので、イノシシ共は何処か違う場所に山から下りて来ているのだろう。

お昼、「カンバセーション?盗聴」(フランシス・フォード・コッポラ監督作)を観る。
上手い!こんな中味がない&主人公が傍観者でしかない話を、スタイリッシュな切れ味のある映像と構成、演出で緊張感をもって描けるというトコロがスゴイ!
「この感じ観たことあるなあ?」と思って、思い出した。
コーエン兄弟の監督作品ってコンナ感じ。(「バートン・フィンク」とか「ブラッド・シンプル」)
「内容が無いよう」な話を二時間語ってみせるツラの皮の厚さというか、「映画は演出だけで保つモノ」という事を証明してみせるこの手つきの鮮やかさ。
もっともコーエン兄弟には全然感心しなかったけどー。
感心しなかった原因は、残酷シーンが下世話だから。「盗聴」ぐらいの残酷さの方が奥行きがあって、想像する余地があるので「ゆかしい」って気がする(←「ゆかしい」の使い方が間違っている)

午後はカラオケ。
ワシ、奥村チヨの「恋の奴隷」を戸川純風に唄って家族に嫌がられる。
♪どおぞーぶうってね??、うははは!もう、離れへんでー、うひょひょひょひょ??!!♪とか勝手にセリフつけて唄うのだもの、当たり前。
ダンナと「ヒデとロザンナ」を熱唱して爆笑。
家族で3時間唄い狂う。料金は全部で¥945だった(安っ!!)