山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「ピースメーカー」にまた泣く・三歳児検診

朝から、「ピースメーカー」(ミミ・レダー監督劇場用作品第一作)を再見。

そもそもワシはテレビ番組「er」の第一回からのファンで、ミミ・レダーの演出のファンであった。
だから、この劇場デビュー作には期待していたし、実際、大きなお腹(臨月)で観に行ったものだ。

今回の同時多発テロ事件で真っ先に思い出したのが、この映画。
「あの時は臨月で普通の精神状態ではなかった(実は劇場で泣きすぎて、腰が立たなかった)し、今観ると、ドー感じるのかな?」という興味で見始めたが、なかなかドーして。
今観ても、メランコリックで感動的な戦争アクション映画だった。
モチロン、脚本はところどころ「?」とツッコミたくなる部分もあるし、あまりの話の展開の性急さに「ハヒハヒ」と息切れしそうにもなるが、この「テロリストに対してシンパシーすら感じさせる」という手法は、かなり珍しいのではないか?>特にアメリカ映画。しかも、ハリウッド作品で。

初見時ほどは泣かないまでも、やはり、とても悲しい話であった。
自分もテロリストと同じ立場に立たされたら、喜んで同じ事をするだろう。
ニコニコと笑いながら、核を抱いて心中してやる。

ホントのトコロはワカラナイが、TWCに突入していったテロリストの感覚もコレに近いモノがあったのではないか?

クライマックスでは犯人(テロリスト)に向かってジョージ・クルーニーが言う、
「お前たちの戦争だ。俺たちは関係ない」
犯人が答える
「ホントにそうか?」

コレがこの映画のキモ。
湾岸戦争以降だからこそ、作られた映画なのかもしれないが、初見時は、湾岸戦争中のアメリカのニュースが、どれを見ても最後は国歌斉唱と風にたなびく国旗のアップで終わるという異常な状況を過ごしてきた後だったので、こんな見方をするアメリカ人もいるのだ!という単純な驚きもあった。
そして、この映画のコンセプトはそのまま「加害者としての自分」を感じさせた。

今という時代を生きているソレだけで、背負ってしまう罪もある。
ソレはダレの責任でも無く、裁けるモノがもしいるとするならば、神しかいない。
(ラストシーンは実にソレが象徴的に表されている)
そんな事を娯楽作品の中で、シミジミと語りかけてくる映画である。

午後、子鬼「三歳児検診」
「お名前は?」と保健婦さんに聞かれて、子鬼「にさい・・・」と答える(名前じゃないし、しかも年齢詐称)