山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ある実験

アメリカ大統領の演説をニュースで見る。
今回、アメリカが標的にされた理由は、アメリカ大統領が言う様に
アメリカが、世界で一番豊かで自由でチャンスに恵まれた国だからだ」という理由だけではないと感じる。

「世界の警察」として世界中の紛争に関与しながらも、自国の利益を追求し続けた行為(そもそも国家とは自国の利益が最優先なモノだが)が招いたという部分もあるような気がする。

巧く言えないし、誤解を招く言い方かもしれないが、アラブ人一部のイスラム原理主義者たちの中には、
「自分たちは自分たちの問題を血で贖(あがな)ってきたのに、アメリカはその代償も払わないまま一方的にユダヤ人の肩を持ち、聖戦にしゃしゃり出てくる。ユダヤもアラブも血を流し沢山の代償を支払ってきた。アメリカだけ何事もなく、国を侵略されることもないまま、国は栄え、肉親を理不尽なテロで失うという経験も持たずに、消費生活の享楽を享受しているのは許せない」という気持ちもあったのではないか?
あくまで、ワシの想像&妄想・・・

あまりに今回のテロが、狂信的でありながらその一方で、冷静かつ確実な仕事ぶりなのを見ていると「抗議」とか「見せしめ」とかいう動機のレベルでは無いような気がする。
「戦いに参加する気なのだったら、一般市民レベルで血を流す覚悟をしろ」「無意味であっけない虫けらのような犬死を覚悟しろ」と恫喝されているような気もする。

だからと言って、今回のテロに対して、本当にイスラム原理主義者が首謀者だったとしても、彼らは失われたアメリカ人の命をどうやって贖うのか?その覚悟はモチロン出来ている上での犯行だろうが、その支払う代償の大きさに本当に気が付いているのだろうか?

今回の事件に対する各国首脳のインタビューで、PLOアラファト議長が本当に顔面蒼白で、唇をわなわな震わせて虚ろな目で答えていたのが印象的だった。
少なくとも、今回の事件で、アラブ人がユダヤ人とアメリカ人に払わなければならない事になるであろう代償の大きさをアラファト議長は想像が出来ていて、そのあまりの大きさにおののいている。
そのあまりの巨大さに怯えている。

もう一回観てみようと、「ピース・メーカー」(ミミ・レダー監督作)をレンタルする。
今回の事件を見て、この映画をもう一度、観たくなった。
初見の時と自分がどのように違った印象を持つかの実験。