山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

今日は父の日

ダンナが突然、「津和野へ行こう!」と言い出す。
(朝の「日曜美術館」のせいか?)
「ナンでそんなトコ行きたいのよ!?」ワシ、思わず不機嫌になる。
「だって行ったことナイジャン」と、ダンナ。
「でも、遠いよ。ギリギリ日帰りできる距離だよ」ワシ、あくまで反対。
「イイじゃん、行こう」
で、ボイスを連れて(しぶしぶ)出発。午前11時。

なんだかんだで、津和野に着いたら午後3時過ぎ(--;
津和野は、想像通りの「モノスゴイ山奥」で、しかも、「悪い観光地の見本」のような場所であった。

未だに30年前のブームを引きずる「ディスカバー・ジャパン」の爪痕。
中途半端に開発され、化粧を施された町並み。
成金趣味としか思えない、町中を泳ぐ錦鯉の群。
「悪い意味での民芸調」に彩られた「小京都」
藍色と朱色の絣や安っぽい千代紙の模様が似合う街。

こんなモノ、金出して買うヒトが居るとは到底思えない、身長1mにもなる「和紙の姉様人形」や、悪趣味な「戦前の少女趣味的千代紙を巻き付けた茶筒」(全く同じモノをダイソ○の民芸品コーナーで100円で売っていそうだ!)しか置いてない(と言って過言ではない)「お土産屋」
満足な公衆トイレもナイ!
北斎美術館も、肉筆画が数点で、あとは版画と写真パネル中心の展示。
節電で普段は空調を切っているらしく、展示室内のかび臭さは殺人的。
こんなモノに入場料500円とっては、イケナイ。
夕方5時に全ての店はシャッターを下ろし閑散とする。
ワシの美意識の全てが悲鳴を上げ続ける。

こんなに「ヤレタ観光地」を見るのは、山口の秋吉台以来である。
時代に忘れ去られ、かつては輝かしい日々もあったものの、その後の経営努力をしなかったセイで人々の記憶からも消えつつある街。
キッチュに走るわけでもなく、ただただ「なんだかエラソーで態度だけデカイ田舎の悪趣味な街・人気のない廃墟」なのだから、全くイタダケナイ。
観光地とはいえ、経営努力は必要。
津和野はイメージ戦略からやり直せ。

唯一ヨカッタのは蒸気機関車が見れた事か?
それとボイスを長門狭でノーリードに出来た事?
あとは、名物の石州瓦(せきしゅうがわら)を見ても、その土地の封建制や保守性を体現しているように見えてきて、妙に不愉快に感じる。
瓦一つ見て、ココまで不快感をアラワにするのはワシらだけだか?
でも、ほぼ100%の家が同じ色形の瓦を誰に言われるでもなく、葺いているのは気味悪いぞ。