山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

梅雨の晴れ間は夏日である

昨日の「鬼神の如き料理作り」が祟り、本日のワシは「お疲れモード」
馴れないことをヤルものではナイ。
ヨロヨロとボイスの散歩。

梅雨の晴れ間。
田圃には田植え用の水が張られ、山間の風はその水の上を渡ってくるのでナントモ「爽やか」。
涼しくて心地よい。
ボイスも泳ぎたかろうと、フラフラと去年の「マムシ事件現場」(山の中の溜め池で泳いで、草むらの中を走っていたら、ボイスがマムシにつま先を噛まれた事件)に向かう。

相変わらず、ココの水は格段に綺麗。
溜め池なのに、透明で水底が見える(普通の溜め池は濁っていて、底が見えないモノ。ココの溜め池は山の湧き水を引いてきて溜めているので、水質がイイ)
しかし、唯一、水面に近づくためのコンクリートの階段へ行く道には、草が生い茂っている。
マムシは草が茂る場所にいる)
危険なので、パス。
今年も噛まれて、昏倒したボイスを抱っこして家に帰ったりするのでは、ワシはモウかなわんよ。
道の脇の用水路に「つかり湯」をさせる。

帰宅後、化粧して授業参観。
子鬼が「連れていけー!!」と叫ぶので、だっこして持参。
理科の授業を見学。
電池で動くクルマの組み立て。生徒一人に一台ずつ配られる。
立派なセットで、形はF1。電池と太陽電池とドチラでも動く仕掛けのモノ。楽しそうだ。
(ワシが四年生当時は電池と豆電球しか渡されなかったゾ)
しかし、四年生には難しいらしく、授業時間中に全て組み立て終わるコドモは一人としていなかった。

夜、テレビを観ていて思いだした話。
昭和30年代くらいまで、信州の山奥の地方では「もらい湯」の習慣があったらしい。
「風呂桶は高価なモノ」という理由で、集落毎(十軒くらい?)に一個の「風呂桶を共有」していた。

で、その風呂桶は週がわりで各家庭を巡り(ゴロゴロ?)、その家で湯をたてて、他の家庭がソコの家に「湯を貰いに来る」という習慣だったらしい(藤森照信の本で読んだ)
しかし、ソレは「全日本的、一般的な習慣ではなかった」らしい。
と知ったのは、その話を実家の父にワシがした時であった。

実家父、「そんなトンデモナイ信州の山奥の田舎はトモカク、俺の生家では俺が生まれるズーっと前から、家に風呂はちゃんとあった!元からあった!!」
実父力説。
そーですか(--;
実父の生家は「山奥の名家(つまり金持ち)」である。