山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ワシはヤハリ、トンデモナイ親バカなのかも知れない

授業参観に行く。

今週最後のイベント(今週は行事が多かった)
実はワシは、結構、授業参観に行くのが好きだ。
子供が学校で楽しそうにしているのが見ていて面白いし、なにより、教室の後ろに張ってある我が子の作品を見るのが興味深い。
せちたろーは妙に大人びたところがある子供で、「考え方が大人っぽい部分」があるので「我が子というフィルター」をハズしても、十分に楽しめる。

今日も一つ発見。
「詩を書こう」という授業で書いた詩が、絵と一緒に張り出されていた。
テーマは「かがやく」
「●●がかがやいている」で始めて、締めを「あ、今。●●が●●した」で終わるのがキマリ。
「その中で自由に詩作してみよう。ついでに絵も添えて」という作品であった。
以下、せちたろーの作品。

   「かがやく」

    海がかがやいている。
    大きな太陽の下で。

    みんなの目もかがやいている。
    青い空の下で。

    あ、今。太陽が少し動いた。

母、思わず読んで感動(←親バカ)
添えられた絵には、地球儀状の丸い浜辺に波が打ち寄せ、様々な髪の毛の色の子供達が笑って遊ぶ姿が描かれていた。

この詩の素晴らしい点は、視点が、先ず作者の高さからまっすぐ水平に、輝く海へと向かい、それから、一転して全ての輝きの光源である、太陽へと上昇するところ。
しかもその、太陽の輝きをとらえた作者の眼差しは、今度はより近い視界を捕らえ、友だちの瞳の中に(太陽と)同じ輝きを見いだすのだ。

ソレは次に上方に広がる青空へ、果てしない虚空へと向けられ、彼らの未来が夢多く、果てしなく美しく、希望に満ちたモノであることを暗示している。
最後に太陽は「少し動い」て、その夢へと彼ら自身が着実に向かっていることを教える。
「全ては心配しなくてもいいよ。大丈夫だよ」と限りない彼らの未来を指し示している。
その夢に「幸多かれ」と神の祝福すら与えられているかのように。
以上、母の「親バカ詩作解説講座」

ワシはもともと、「子供の詩」というのが嫌いで、「子供に詩なんか書かせるな!」という持論の持ち主である。
だって、新聞とかに載っている「こどもの目」とかいう小学生の詩のコーナーを読んでゴランなせえ。
「まんまやんけぇ!!」とツッコミを入れたくなること請け合い。

う??む、その点、ウチの娘はホンモノの「詩人」かもしんない。
かなり、「デキル」と見た(慢心)