山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

我が子の可愛さってナンだ?

チョットいやなコトが続いて、激しく凹む。

最初のつまずきは「大したことナイ事」なのだが、イロイロ考えたり、
思い出したりしているウチに雪だるま式にその「大したことナイ事」が膨らんじゃって、
激しい凹みへと成長していく。いやん。

コレがワシの弱点。
つまんないことでクヨクヨしまくって、
果ては「ワシ、陶芸ヤメタ方がいいんちゃうか?」とか、
「インターネットやっとらへんで、もっと真面目に家事に取り組んだ方がええんちゃうか?」
「どうせ大した才能もないのに」等々のデフレスパイラル状態に落ち込んでゆく。

しかし、陶芸とインターネット止めたらワシには何が残る?
子育てと家事だけの日々はイヤー。
でも、外で働くのはもっとイヤー。
(ウチはワシが外で働きだしたら、家庭生活が持たない。多分、一ヶ月で崩壊。ダンナの仕事が不規則極まりないので、子供の面倒を見てくれるシッターさんでも雇わない限りまず、無理。シッターさんの給料って月に25万位か?そんな金ドコにもねえぞ)

それに、「自分の子供は自分で育てたい」のだ。ワシは。絶対。
そこには「こんな可愛い子ちゃんの子供時代。後で振り返れば一瞬の子供時代なのに、人任せにするなんてもったいなくってイヤー。多少ビンボーでもいいから、この可愛い一瞬一瞬は全てワシのモノ??!!」
という「親のエゴ」が満ち満ちているのだ(ココもワシの弱点)

子供を持っていないヒトにはワカラナイ気分だろうが、
「子供は毎日変化する」
「今日の、この、可愛さ」というのは「今日一日ダケの命」
残酷だが、この「今日の可愛さ」は「今日だけ」のモノで、「明日にはもうドコニモナイ」んですな。
替わりに、明日には「明日の可愛さがある」のだが・・・
しかし、「今日のこの可愛さ」にはワシの人生で、もう二度と会えないモノなの。

この我が子の可愛さは「賞味期限本日限り」なの。
だから、大切なの。かけがえがないの。
「今日の可愛さには今日しか会えない」のね。
だから、一人で味わい尽くしてしまいたいの。

我が子の可愛さを、毎日見ながら、
「さようなら、今日の我が子よ。今日限りで明日にはもう会えないのね」
とシミジミ思うワシはバカ女?
なんか、変なこと書いてる?ワシ??

うぅ??ん。精神的な凹みのせいか調子が悪いぞ。
こんな日はカラオケでも歌いたいわね(え?戸川純?)←バカ

山口でヤッテル「平等院展」見に行きてぇ??!!