山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

井上孝治さんを知っていますか?

二階のリビングから見える山桜が満開である。美しいぞい。
山の頂上から落ちてくる稜線の北斜面に生えている桜が、自宅二階のピクチャーウィンドー一杯に見えててめっちゃ豪華である。私は密かに「雪の女王」とこの木に名前を付けている。(6メートルもある山桜が傾斜地に2本、縦並びで株立ちで生えてる。すごいボリュームである)

娘の授業参観。
「春を見つけたよ」のテーマでノートにそれぞれの「春」を書き付けて、先生に当てられたら発表している。
先生、娘のノートを見て、「面白いから、発表して下さい。」と言う。
「この前、中庭でウチの犬の抜け毛をブラッシングしてそのまま放っておいたら、ウグイスがやってきて、巣作り用にくわえて飛んで行きました。そのウグイスも日に日に鳴き方が上手になっていってます。」娘って、こんなヤツである。
一度、じっくりお話ししてみて下さい。すっげーオモシロイ女ですぜ。

夕方、井上氏(有名ファッションカメラマン)から電話。「今からNHKのニュースで父のことを放送するので、見てください。」ハイハイ。
井上氏の父君は7年前になくなったが、いまだに評価が年々高まりつつある「天才カメラマン」である。

昨年末、文芸春秋社から「音のない記憶・聾唖の天才カメラマン井上孝治の生涯」という評伝も出版された。
今から12年前、私は井上孝治氏の初の写真集「思いでの街」(河出書房刊)の書評を「本の雑誌」に書いた。(これが実質、私にとってのデビュー)
それは勿論、知人の父君であるとか、聾唖者であるとかいった事とは無関係。
ホントに素晴らしい写真の数々に、写真が語りかけてくる言葉に、そのまなざしにココロ揺さぶられ、涙が出て止まらなくなってしまったからこそ、書いたのだ。

彼の写真は不滅である。私たちが永遠に「ヒトに触れたい」「理解し合いたい」と願う限り、そして、分かり合えないと絶望を感じ、傷つきたくない、傷つけたくないと思いながらも、ヒトと交流したいと願う限り、彼の写真は、見る私たちに話しかけてくる。手を差し伸べてくる、いつまでも。
そういう意味では、彼の写真は永遠を手にしている。

この体験を味わいたいヒトは、都庁へ急げ!
井上孝治写真展。4月11日から都庁でやってます。
見ておいてソンはない。
ニュースでは、聾唖の中年女性が「写真の声が聞こえてきたので、ビックリしました。こんな経験は初めて。」とコーフン気味に話してました。