山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

贈り物の極意を考える

と、言うわけで。
昨日は自分の違和感の原因がなんとなく、分かった気がしました(自分で文章にしてみて改めて)
ブログを書くのって大事ですね(今更)w

被災者を支援しているつもりでも、何故か、結果としては被差別者を作り出している。
自分は安全な場所にいるから?とでも言いたげな所業に見えるんですね、ワシには(心が黒いから)
そしてその行為そのものすら「反原発」に利用している_コレは穿った見方過ぎますが_簡単にそういう運動に利用されかねない行為にも見える。

そんな気がするんですよ(´ω`)

ワシが野菜を貰う側だったらどうするかな?と思うと…
「タダで野菜を貰えるのはありがたいけど、別にコジキじゃないし。いらんわ。野菜は自分でお金出して買いますし」
と思う予感がします。
ましてや小さい子供を抱えた、もっと若い年頃であったなら。
「はあ?なんでそんな恵んで貰う立場になったんか?いつ、誰がそんなこと決めたし。ふざけんなや」と直接文句言いに行きそうだw
(野菜は希望する人だけに分けられているそうですが)

まあ、「良かれ」と思ってやっていることでも、なかなか相手には通じないよな(´・ω・`)という事の一つの証拠でもある気がします。
そしてやっぱり、ワシが気にしているのは、「廃棄する野菜を送っている」て部分だったりします。

よほど親しい人だってそれはどうだろう?と思うのに。

たとえば、家族であっても、「廃棄する野菜送るね」と満面の笑みで言われたら。
「そうか、ワシはクズ野菜で生きている女か…家族にすら大事にされてないのか…」と拗ねた暗い目をして世界を呪いそうです(黒過ぎ)

おそらく、この話からワシが改めて感じるのは、
「人様に物をあげる時は自分のいらないものを差し上げるのではなく、自分が本当に欲しいもの、心からあってよかった、便利だ役に立つ、心が満たされるというものを選んでお贈りしましょう」
ということだったりしますw