山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

佐世保高1女子殺人事件

高校進学と同時にマンションに一人暮らしを始めた女の子。
父親は後妻さんと新しい生活。
_これだけ聞くと、「河相我聞?」とか思っちゃうんですが。

そこで起きるのが殺人事件というのが…なんというか…
普通だったら同級生のたまり場になったり●●部屋になるというのがオチなんですが。

長崎はもともと数年おきに子供が犯人の殺人事件が起きる土地柄なので、「ああ、またか」という印象なのが(ーー;
せめて、驚きを持って受け止めろよ。と、自分でも思うのですが…

この事件でわかるのは県とか地域を上げて、「命の教育」とか「人権」「いじめ」の教育やってます!と表面だけを繕ったところで。

小学生なのに、給食に◯物を混入させて同級生を殺そうとする計画を、実際に実行しちゃうような子が居て。
それに対する指導も療育も無いままで、お金で事件を解決して「子供がやったことだから」ともみ消しちゃうような、カネもコネもあるような実力者がその父兄だったら。
物事の本質はなにも解決しないという、いい実例になりましたね。
表面だけの体裁を見栄え良く整えたところで中身の腐り具合は順調に進行してたという事です。

なんでこんな問題行動のある子に一人暮らしをさせるのか。
父親は、自分の人生は自分が主役だから、邪魔者は排除しようとでもいうつもりだったのか。
マスコミはこの事件をSNSやLINEがらみのトラブル、喧嘩でもあったんじゃないかみたいな見方をしているようですが、むしろ、ワシにはこの加害者の子は被害者の子を好きだったような気がするのです。

この事件で思い出すのが。
例のサカキバラくんが最初に選んだ被害者の子が、家族に無条件に愛され(それは自身が条件付きでなければ愛されなかった透明の存在であるのとは全くの裏焼きの状態であるかのように)周囲からも受け止められて、大切に育てられている男児であったという事実です。

まるで小さな動物をその生命丸ごと「永遠に」自分のものにするために。
無抵抗な無辜の小鳥を、その手のひらの中に握りしめて、その暖かさを味わいながらも最後は握りつぶして、その感触とともに、自分の愛情も刻みつけておくようなそんな行為。

「それは歪んだ愛情だよ」「それを愛とは言えないよ」と常人はなんとでも言えますが。
でも、それを愛だと。生まれつきに本能で感じている人に何が出来るでしょうか。

この事件の恐ろしいところはそこです。
自分の生みの親が。自分の血を分けた子供が。生来の本物のサイコパスで性的なサディズムがあったなら、一体、どうすればいいんでしょう。全く悩ましい問題です。

(と、ここで思い出すのがサカキバラくんのお母様がかなり変わった方だった_遺族に払うお金を「月に1万円ずつでいいですか?」とか発言して裁判長に怒られたりとか…15の少女をワンルームマンションで一人暮らしさせてた父親と似た臭いを感じます。自分と子供はあくまで別人で別々の人生だ_たしかにそれはその通りなんだけど_みたいな他人ごとの雰囲気)

おそらくは今回の事件も常人には思いつかないような理由と動機があったんでしょうね。
でも少なくとも、ワシの目には…殺された被害者の少女は、加害者にとって唯一の開かれた世界の窓であったような気がするのです。
その大切な友達を殺してまで自分だけのものに、永遠にしておきたかった。
小さな箱に閉じ込めて、大事大事にお世話して可愛がって、飼い殺しにしておきたかったからこそ_の犯行に思えるのです。