山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

電車で座る若い男が嫌いです 3

つまり、自分が物事をコントロールしているのだという実感(満足感)が欲しいから、自分がちゃんと今を生きているという実感が欲しいがために、行きずり殺人を犯す__というのはドー考えても「狂人の理屈」なんですけどね。
でもそれを、おそらくはこの犯人たちは普通の精神状態でやってしまっている。
コレって本当に怖いなー、と思った次第です。

この犯人たちにとって周りの人間の存在というものが、なんとも希薄で。
どんな人にもそれぞれ、人生があって家族があって、考えている事がみんな違うという。
自分がなにか感じて考えているのだったら、自分以外の人間だって、それと同じように感じて考える事を持っている人間なんだという__そんな簡単な事がちっともわかっちゃないようで。

実はそこに一番興味を惹かれましたね。
周りの人間が、切り抜きの着せ替え人形みたいに、自分が見ている周囲の風景の中を右往左往するだけの「背景のパーツ」としてしか認識できないとか?
と、考えてみましたが、ココで天啓がひらめいて、理解しましたね。

酒鬼薔薇少年が書いていた文章にも出てきた、「透明な僕という存在」ってアレ。
つまり、現実の風景の中を右往左往する影法師のような(byシェークスピア)もの=自分以外のものすべて
じゃなくてw
多分、この犯人たちは「自分自身までも」が、「この風景の中を右往左往する影法師そのもの」だったのではないか?
まさに「透明な僕という存在」だったのではないか?と言う点です。

普通、自分を大事にする人は自分の重みを知れば自ずと他人の重みも知って(この人も誰かの大事な人なのだと)他人も大事にして親切にするものですがね。
それが微塵もないw
自分が軽いように他人も軽いと思ってしまう。

自分が殺人を犯しても誰も__自分の家族も被害者の家族さえも、悲しまないと思っている。
自分が運命に流されるがままのように、自分以外の人も運命の鉄槌を受けて、思うような人生を送れなくなるようになってこそ、公平だと思ってしまう。
なんならば、突然命を断ち切られてもやむなしだと思っている(怖)

自分の人生が思い通りにならなかったように、他の人も人生が本人の思い通りにならなければいいのにと思っている。
神が鉄槌を下さないのであれば、自分が下そうと思っている。

電車の話に行き着かないまま、続く