電車の話に今日こそは行き着くぞ、オー!ヽ(´ー`)ノ<説得力なし
で?
そんなこんな事を考えていたら、文京区は小石川で、「おしおきする親父伝説」を作っちゃった人が出現して。
びっくりしましたねー、この事件も。
家族を殺戮している現場を見た娘に向かってこの父親は、
「大丈夫、ちょっと夫婦喧嘩しているだけだから」って言ったらしいですが。
そんな血まみれの夫婦喧嘩があるかいなー。
でも、これも多分。
「運命に逆らえない自分」に対する代償行為みたいなものではないか?と思いましたね。
え?ワシが間違っていますか?全部妄想でしょうって?
いーんです。コレ、妄想日記ですからw
おそらくは「自分が家族を経済的に窮地に追い込むかもしれない」と思い込んだ父親。
親の代から付き合いがある会社が移転してしまう。仕事がなくなってしまう。
でも、その移転は自分には止められない。
「もう、仕事もお金もなくなっちゃうかもー?」と自分の身の不憫さを嘆く。
(しかしまあ、ワシら筋金入りの貧乏人からしてみれば、あんな場所に職住同居とはいえ、立派な一戸建てを持っているだけで、「羨望のまなざし」ですが)
自分の人生を自分でコントロール出来なくなっている事を嘆く。
「もう、いっそ死んでしまおうか?」
「でも、家族を残していくのは不憫」
「てか、自分だけ死ぬと自分が可哀想」
「自分が生きられなくなったように、家族も自分と一緒に生きられなくなってこその、本当の家族ってやつなんじゃない?」
「自分が追いつめられて故なく死んでいくように、家族も自分と同じように罪もないままに故なく殺されれてしまえば、これぞ自分にふさわしい、自分が愛するに足る家族なんじゃない?」
とでも思ったんだかドーなんだか。
でも、こんなに元気いっぱいに家族全員を殺そうと体力の限りに殺戮しまくる父親の心理状態って、「家族を残して自分だけ死ぬのは、家族が可哀想」というのとは「違うだろう?」って気がするのです。
「自分が運命に逆らえないから、自分の家族も運命に逆らえなくしてしまいたい」
という歪んだ愛情が見える気がするんですよ。
そんな権利は神様にだって無いし、勿論、この父親にだってありません。
土浦の8人殺傷事件、駅のホームから突き落とし事件と違うのは、「犯人がおっさん」な所<ほーら怒られた
でも、「自分の人生を自分でコントロールできなくなった人」という部分は同じです。