山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

人のふんどしで相撲をとるワシ

朝から爆笑してしまったので、リンクを張りますね↓
http://www3.ezbbs.net/03/kuhiwo/

ワシのネッ友(というか、ワシが勝手にお慕い申し上げている関係の)相田さまの掲示板なんだけど、うひゃひゃ、やはり彼も「象の背中」に怒り心頭のご様子である。
ワシもあんな話、「ダイッキライ!!」である(コレを言うと若い人が喜んで下さるので、今日も大人げなくワシは叫ぶぞ<エラソー)

全く最近の「感動モノ」とやらは死ぬだの死にそうだのウザイっつーの。
「普通に真面目に生きている人が一番エライ」という大真実が、「死」というものを目前にしないと理解出来ないとは、こりゃまったどーじゃろかい。

で、件の相田さまは「自己犠牲の物語の不足」を嘆いておられるのだが、ワシもその事はこの日記にて書いており、「ふむふむやっぱりそうだよなあ」と一人悦に入っている。
最も最近の例で「自己犠牲がナイ!!」と怒り狂ったのは「時をかける少女」(アニメ版)での事だったが↓
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=25651&log=20070728
コレ(「自己犠牲という観念の不在」)は、実は現代日本が持つ構造的な病ではないのか?と思うようになってきた(@最近)

「自己犠牲」と言えば、あと映画関係では、「自己犠牲を描かせるとトンデモナイ巨匠になる監督=サム・ライミ」でも触れた「自己犠牲というテーマ」↓
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=25651&log=20051015

宗教的な「愛」としての自己犠牲をバックボーンに持つ物語としては、有名どころとして「指輪物語」があるが。
その事にもすかさず触れているワシ↓
http://www.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=25651&log=20021004

長年日記を書いていると自分が過去に何を思っていたのか?感じていたのか??をすぐに確認できていいなあ(笑)
今となってはすっかり忘れていることも多くて(アルツ)新鮮な気持ちで読み返せますよ<バカ

で、「自己犠牲の物語」という部分。
ワシが実はピロウズを研究対象に選んだのも、「イマドキ珍しい男達の自己犠牲の物語だから」なんだよね・・・・

と、夫に言ったら、夫が
「ええええっ!?」( ゚Д゚;)と驚いていた。
いや、実は昔からワシはそう思って居るんだが・・・・

男の人が男の人を信じて、自分の全存在をその男(の音楽)に賭ける行為って・・・凄くない?美しくない?
とても気高い行為だと、ワシは思うよ。