山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ロック教室「時代なんて関係ないなんて言えない」

つまり、何が言いたかったのかと言うと、
「両者ともアレだけ時代に流されない不朽の音楽だと言うのに、それが生まれたキッカケが
なんと、『時代』のせいであった」という事です。
皮肉というか、アンビバレントですね。
奇しくもピロウズは「プリーズ、Mr.ロストマン」の中でこう歌っています。
「ねじ曲がった時代なんて関係ない、僕らは出会った」
「プリーズ、Mr.ロストマン それが全てだろう?」
本当に関係ないんでしょうか?

もしも日本に好景気がマダ続いていたとしたら、エレファントカシマシの「ココロに花を」と
ピロウズの「プリーズ、Mr.ロストマン」というこの日本語ロックの二大傑作は多分、
生まれなかったんでしょうね。
好景気が続いていれば、この2バンドとも、なんとなくレコード会社にそのまま居て、
自分たちの中の新しい可能性にも気がつかないままで、それなりの作品は残せたんでしょうが。

でもこんなにも、その発表から10年経った今でも、感動のあまり聴いているうちに涙して
しまうような、こんな傑作は多分、この時代と環境が無ければ生まれなかったものなの
かもしれないんですね。

「日本は90年代に何も産み出さなかった」
とワシは90年代の終わりに気がついて、シミジミとその「失われた10年間」の不毛さを
嘆き悲しんだものでした。
でも、その、「不毛な時代だったからこそ、こんなにも美しい魂の結晶が生まれた」
という側面もあるんですね。
不毛な何も産み出す事の無かった「喪失の10年」
しかし、それは今になって振り返ってみれば、なんと豊潤でかけがえのないものをも
残してくれた時代だったんでしょう。
自分がそのまっただ中にいる頃は、長引く不景気の中で沢山の資産が霧散してしまい、
大切なものを失い続けるばかりで、まるで何一つ、夢も希望も無いような時代だったという
気がしていたのに。
本当はそうじゃなかった。
その厳しい時代だったからこそ、自分と向き合い、検証し、自分の創作とその心に真摯に
従って素晴らしい作品を残した人たちが居たのだと。夢じゃなくて、現実に。
今にして思い知りました。
まったくコレって、勇気が与えられる真実ですよね。

そんな事に、ワシは昨日、気がついてしまったのでした!
みなさん、こんにちは!山麓日記帳です!!<なんかネジが外れたらしい予感。