山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

昭和40年の新宿の風景

ダンナがこんな事で天涯孤独になってしまうなんて、そこが可哀想でそれで大いに泣ける。
何度も抱きしめて「可哀想に」と言い続け、ハグハグしてあげる。
廊下の隅とかでこっそりダンナと抱き合っていると、コオニタンが目ざとくソレを見つけて「ナカマ?!」と言いながら、ワシとダンナの腰を両手一杯に広げて抱きしめてくれる。
この「愛」という曖昧なものでだけ繋がった私ら家族。

お金でなく、血ではなく。
目に見えない、「愛」というとらえ所の無い、気まぐれな、不安定な、いつでももしかしたら明日にでも、泡のようにパチンと消えてもなんら不思議の無いもので、でも確かに結ばれている私たち。

明日も頑張ろう。アナタの為に。この身を捧げよう。
どんな苦労もどんと来いだー。

と、言う訳で、遺品整理二日目。
とりあえずワシが先に娘二人引き連れて(今日はホントは長女は「合唱コンクール」、コオニタンは「登山遠足」の予定であったのに。忌引きにさせてしまった。可哀想になあ)、フィフィ運転して高速に乗って現地入り。
早朝からガシガシと働き続ける。
廃品処理業者さんを部屋に呼んで見積もりを取ってもらい、その片手間に娘ズに命令して荷物をまとめ、ゴミ袋を買いに走ってもらったりゴミ出ししたり雑誌をまとめてもらったり、ワシは各方面にケータイで電話して、ガス水道電気電話を止める手続きを進ませて、「ああして、こうして!」とテキパキ動き続けていたら、納品先に仕事を届けてきたダンナが合流。

「アレは済ませたコレは済ませた」と済んだ仕事を報告。
とにかく、この数日間、ワシは未来を予見するガラドリエル(「指輪物語」に出てくるエルフ族の女王。外の世界の人からは「魔女」と恐れられている。未来を予見する力を持っているキャラクター)様モードになってて、恐ろしいほどやる事なす事が大当たりなので、「今は負ける気がしねえな」と思っている。
その辺りの詳しい話しは後々ココで語られるかも知んない。

さて、腹が減ったので、お昼にもなったし駅前に移動。
不思議な看板が林立する一角が在り、あまりにその風景がレトロで面白かったので写真を撮っていたら、なんと映画の撮影中であった(面白い看板はそのセット)
宮崎あおいタン主演の映画だって。