山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

経過報告

とりあえず、遺骨を持って夕べ帰宅。
しかし、今朝(11/4早朝現在)、またぞろ90キロ先まで出かけて行って遺品の整理&帰り道、お寺に立ち寄って骨葬式と納骨の打ち合わせに行かねばナラナイ。

残された部屋で、肉親の残した膨大なコレクション(総額数百万円分?しかし、実質的な価値はその1/10にも満たない筈)を見ながら、片手間にボチボチ片づけていたが、あまりにもその内容の偏執さに呆れてしまい、悲しみは段々怒りになり、手を動かしながら散々毒づき、ついでに手近にいたダンナをボスボス蹴飛ばして、疲れちゃった@昨日。

今回の事では、なんともはや、人間って生きて行くのに必要なのは、お金や物では無いんだなあ。と実感した。
自分より大切な人間が絶対に必要。
自分しか大切でない人は、本当に弱い。
自分の価値を見出せなくなった時に、簡単に死ねる。
どんなに沢山のモノに囲まれても満足する事は決して無い。
いつも「もっともっと」と過剰に物欲だけが加速する。
沢山のお金をつぎ込んで、沢山のお気に入りの大切な宝物に囲まれて、物だけがドンドン増えて、家の中に寝るスペースしか無くなったとしても、まだ心は満たされないで、「アレも欲しい」「コレも欲しい」と脳が命令する。

手足はタダ単にその自分の物欲の奴隷。
働いてお金を持って帰ってくる、その為の道具にしか過ぎない。
まだ動いているウチは良かったのだが、ソレがちゃんと機能しない、お金を持って帰って来ない。となると、脳は簡単に身体に命令を下す。
「もう死になさい」

沢山の物に囲まれ、大切な宝の山の中(他人から見ればゴミ同然)で彼は自分を殺した。
42歳。
自分の命より、自分の物欲の方を大切にした、壮絶な一生であった。

オカゲで残されたワシら家族はエライ迷惑である<冷血。
娘達は生まれて以来、殆ど会った事無い(長女は生後半年頃までなら数回会った事はある)オジサンが突如、死体になって目の前に現れたんだからショックを受けている。

「なんて事、してくれたんだよモーー!」と一昨日から叫び続けで疲れた。

と、言う訳で次の日記は何時になるか不明。
また書く暇があったらアップします。
さ、ご飯食べて、遺品の整理に向かわねば。サラバ。