山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ライミ監督を語る

と云うワケでサム・ライミの事を書こうっと♪
さて、サム・ライミ。このアメリカ人の男は「大変な日本製マンガのファンであるらしい」
なーんて百万遍書いたトコロで「耳にタコ出来てるわー!」な話題であるが(書くまでもなく、海外の映画監督に日本製マンガの熱狂的ファンは多い)
さて、しかし。
このデビューはお下劣、最低、悪趣味なスプラッタホラー映画であったライミ監督。
一体、ナニがどうしたんだか、すっかり近年は人間的な成長を遂げちゃって、素晴らしい感動作を立て続けに発表している。

ここでよく引き合いに出されるのは、「南半球の(ライミ監督と同様に)スプラッタでデビュー男」である、ピーター・ジャクソン監督。
さて、この両者の似ている部分は「スプラッタでデビュー」というだけではない。
ライミ監督は「シンプル・プラン」「ギフト」と純文学の香りすら漂う大感動号泣作品(ワシが大泣きしたダケかもだが)にてすっかり巨匠の風格を漂わせ、続いて監督した娯楽大作「スパイダーマン」にて商業的にも大成功。
続く「スパイダーマン2」にては「青春の挫折と夢の成就」を熱く語って見せた。

そしてピーター・ジャクソン監督も「乙女の祈り」にて「思春期の親殺し」(モノの例えではなくて、本当に殺人事件を起こしちゃう少女)を描き、その思春期の深層心理に迫った。
「え?このまま純文学の世界にイッチャウの?」とフト、ファン(ワシ)を不安に陥れるものの、続いて「映画化は見果てぬ夢」と言われていたファンタジーの超大作「指輪物語」の完全映画化に着手。
ご存知の通り、結果、商業的な成功と芸術的な評価の両方を手中にし、燦然と輝く巨匠の仲間を果たす。

まあ確かにこの両者はコレだけ書いたら「スゴク似ている気がする」が。
しかしコレは「指輪も腕輪も丸いって部分だけが似ているのです。両者はあくまでも別モノです」と言い張ったトールキン教授(「指輪物語」と「ニーベルングの指輪」の相似点を指摘された時の発言による)にあやかって、ワシもこう言いたい。

「ライミもピージャクも、『映画バカ』って所だけが似ているのです。映画を救うのは映画バカであるというのを全人類に向かって証明して見せただけです」

あ、なんか文字数が尽きてきた。
この話しの続きは「明日のココロ」だー!
(そもそも本当は、今日の日記には「ギャラリーのマダムと歓談」の話題を書くつもりだったのに)