山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

ワシの指輪物語・パート2

で、この問題の「指輪所持者」ってえのが、何故かここ三代とも「世界最貧弱部族」なのである(「タマタマの偶然で指輪を拾った」という入手方法からして、そうならざるを得ないか?)

スメアゴル(先々代の指輪所持者)は川遊びをしていて拾った。
ビルボ(先代の指輪所持者)は冒険の旅の途中、オーク(鬼)に追われて、洞窟の中を逃げ回っているときに、タマタマ拾った。
そしてこの「指輪物語」では、指輪を叔父であるビルボから譲られて、指輪を捨てに行く大仕事をするフロド(現指輪所持者)は、「自分から欲しくて指輪を手に入れたわけではない」のだ。
「世界を支配できる指輪」だと言うのに。

ここ三代の指輪所持者は「小さい人」であったがタメに、「この指輪で世界を征服しよう」という野心は持たずに暮らしていた(結局、それがこの舞台となる「中つ国」に平和をもたらすわけであるが)

普通のファンタジー小説だったら、ココで、「力の指輪を平和利用しましょう!」とか「ワタシが正しい使い方をします!」という流れになる気がする。
のだが、この指輪物語では、そうはならない。

主人公は経験値を積んでも全然強くならないし(むしろ指輪の魔力に侵されて、身体がどんどん衰弱してくる)、ビキニ姿のお姉ちゃんも出てこない(<と、ダンナに言ったら、「オマエのファンタジーの定義は間違っている」と言われたが)、万能の魔法も剣も出ては来ない。

実に「たった一つの全てを統べる価値観というモノを無しにするため、多様性を認めるために、自分を犠牲にする」という地味??な話である。
その全てのキッカケが、「指輪を拾う」という行為に始まるというのが、「面白いなあ」と長年(初めて「指輪物語」を読んだ19歳の時から)思っていたのだ。

トコロが、30歳を過ぎたある日。
ワシは渓谷で遊んでいて、金の指輪を拾ったのだった。
水辺に清い流れに洗われて、指輪は半分川砂に埋まっていた。
正確には見つけたのはせちたろー(当時三歳くらい?)で、拾ったのがダンナ。
14Kの指輪だったが、なんとも不思議な感慨に打たれた。

それがサウロンの指輪でナイ証拠には、別に指輪に魅入られるとか、この指輪を身につけると変な風景が見えるとか、世界征服したくなるとか、そんな事は全然起きずに(残念なことに)今も、その指輪は我が家のおもちゃ箱の中に眠っている筈である。