山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

「アメリカンビューティー」その後・新車購入

ダンナと二人で今日またしても、「熱く熱く語り合って」しまう>「アメリカンビューティー

「白いビニール袋」(隣家の変態息子の宝物ビデオに映っているもの。コレを見て彼は「美しくて胸が張り裂けそう」と証言する)に世間の目は惑わされっぱなしなのではないのか?という事で二人の意見は一致する。
「白いビニール袋」は「はかなさの象徴」で、ソレはラストに明かされる、「日常の中であえなく消えゆく人生の美しい瞬間を讃える感覚」への伏線に過ぎない。
だから、この「白いビニール袋」が持つ意味は、実のところ、この隣家の変態息子と主人公の父ちゃんは、「等価値感覚の持ち主」であることを示唆する道具立てにしか過ぎないのだ。
だから、娘が隣の息子に(反発しながらも)好意を抱くのはごく自然。

あれは実は「美の象徴」ではなく、「その中に美を見つけられる」という「感覚の象徴」に過ぎない。

どーしてこんなことがワカラナイのだ!?
世間のこの映画に対する批評を読んだが、みんなダメダメ。
モノゴトの些末な部分に目を奪われて、全然本質が見えてないの。
「もっと本質を見極め」て「肉を切らせて骨を断つ」(?)べきなのではナイか?

「コレはハッピーエンド」とか「アンハッピーエンド」とかいう議論も馬鹿馬鹿しい。
ワシが死んでも、地球は終わらない。
人生は続く。続くったら、続くからだ。
残された家族が可哀相なんてトンチンカンな批評もあったりして、読んで爆笑。

送り手側が、これだけの緻密な脚本と演技で、受け手側に勝負しかけて来てるのに、受け手側の受け入れ態勢がコレではねー。ダメダメ。
骨太にして緻密。細心の注意を払われた脚本と俳優たちの演技。
ワシは、実に実に、美味しく戴きましたぞ。
アカデミーも「タマにはマシな事やるぢゃん」なのだった。
あ、ナニサマ?になってるーワシ。(ペンギン様♪)

午後、ホン●に行って「ストリー●」の1.7Lに試乗。
確かに性能は悪くはないが、2.0Lに比べれば見劣りする。
で、2.0Lに決定。
プリアちゃんの下取り価格と値引き等で「今までで一番安い車」になった。

契約書に判子。
納車は一月。
二年がかりの「新車買い換え計画」は何故か、キーボーを残してプリアちゃんを売るという予想外の結果。
だって、キーボーまだまだ元気なんだもん(それに引き替え、プリアちゃんは・・・)
キーボーは「ドイツ生まれ」のセイか、丈夫である。