山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

フランスキャラメルの女の子はシャーリー・テンプル

というわけで毎日、家事の合間にギターの練習しているワシでありますが、フト、思い出しました。
「中学校のブラスバンドだった頃だって、こんなに真面目に練習はしなかった」
でも、記憶の奥?の方には、なんだか「泣くまで楽器の練習させられた記憶」があるのです。

「こんなに練習するのはあの時以来じゃないのか?」
お話は40年以上前に飛びます。

当時、何故か、通っていた幼稚園では音楽教育が大層熱心に行われておりまして。
「子供の楽団」があったんですね(今もあるのか?)
「オーケストラ」というほど、立派なモノじゃござんせんけど。60人編成ほどの楽団がございました。

毎日毎日、練習に練習を重ねて、色んな場所に出かけては、演奏をする__という日々でした。
幼稚園児というのは、通常、毎日砂団子を作ったり木に登ったり、遊びほうけているのが「あたりまえ」なんですが、当時は社会全体が、非常に教育熱心だったという事もあり。
「幼稚園児だからって遊んでいてはダメだ!」という風潮が、少なくともワシが通っていた幼稚園には漂っていましたね。

毎日練習練習の繰り返しの他は、よその幼稚園やイベントに出かけていっては演奏する__という日々でして。
それが幼稚園最後の年、年長組になりますと、「演奏旅行」という一大イベントが行われるんですよ。
ワシが通っていた頃は、行き先は東京でした。
当時、小学生から大学生まで、日本中にある学生オーケストラが集まって、大学の先生の指導を受ける。ついでにみんなでホールで演奏会をやる__という行事があってですね。
それに参加するわけです。

数日間に渡る指導の末、いよいよ演奏会当日には、その演奏の模様をライヴレコーディングもされたんですよ。
勿論、一般のレコード店店頭に売りに出されるようなモノじゃありません。
関係者一同に配られる自主制作の45rpmのドーナツ盤ですよ。つまりコレが「レコードデビュー」の真相です(ツマンナイねえ)
そこでバッハとモーツァルトを演奏して無事、終了しました。

その東京行きでは、その大学の先生のお宅にまで招かれたり(なんと先生は独身で、普通の家の二階で下宿生活をなさっていた<子供心に凄い衝撃だった)
当時の西ドイツ大使館に招かれて、金髪碧眼の純血アーリア人種な人々に囲まれて演奏したりしました。
不二家のフランスキャラメルの女の子みたいな子がいっぱーい!」とガン見しましたよ。