山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

冷血上等

とまあ、なんだかんだで大変だった11月はもうオワリ。
清々した気分で月末の銀行業務をこなす。

あ、シリーズの中に書き忘れていたが、義弟の「納棺式」の代金はなんだかんだ(遺体搬出料金、霊柩車使用料金、花束代金その他含む)で12万円からオツリが来る程度であった。
焼き場の料金は1万円。
死亡診断書は2万5千円。コレが後にもう一通必要になって、二通取ったので合わせて5万円。
家財道具の処分費用が6万円。
あと、家を引き払う時に公団に払った家賃の未納分やら、他にも未納の公共料金やらwowwowの受信料やら(ウチだってwowwowなんか入れてないのに、金持ちだな義弟)一切合切、「耳を揃えて払ってやらあ!!」とばかりに力任せに支払って、クルマのガソリン代金やら高速料金やら、県内各地の役所を回ってかき集めた戸籍謄本の束の為に使ったお金が合わせて7万ほど。
全部で36万ほどの出費であった。ヤデヤデ(痛)
11月はウチの会社の事業税(合わせて7万円)も払わなければならない月なのに、ナンテ事してくれるんだよ、バカタレ!!

皆さん、死ぬ時は借金と未払いの公共料金とかは無いようにしましょうねorz
それと、自分の葬式代金とかは最低出せるように。
…っていうか、更に爆弾みたいな借金もあったから義弟は死ななければならなかったのかもしれないが、しかしどう考えても、「自分の物欲の為に自分の命までも捧げる」っつーのは本末転倒だ。
やはり、「心の病気」だったんだろうな。

ワシなら自己破産してでも生きるなあ。
その人生に対する踏ん張り具合の違いというか、人生に対する愛情の深さ。みたいなものの差をまざまざと感じる。

やはり、人は誰かを愛さないと生きてはいけないのだ。
誰も愛さない。自分しか愛さない人生は軽い。
カジュアルに死ねる。
生死の一線を軽々と飛び越して見せるもの。
人生に意味はなく、人生は軽い。
自分しか愛さなければ後の事なんか考えない。
やりっぱなしで残酷な事(実の兄に自分の死体を発見させるように仕向ける事)も平気で出来る。

ダンナは義弟の事を「本当は愛していた」と後々言ったが、ワシが思うに、ソレは「全て(今回の自殺騒動の物語としての終わり方)を綺麗にまとめる為の言葉である」と感じる。
義弟はダンナの事なんかこれっぽちも愛してなかったし、ダンナだって義弟の事は見捨てていた筈だ。
実際、義弟は見捨てられても仕方のない事ばかりをしてきた訳だが。