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「生花」
コスモスの花がさいている
この花は生きている
最近庭からつんできた
今はぱぁっときれいにさいている
一ヶ月たった
コスモスはしょんぼりとかれている
見るも無惨なすがただ
でも、それも美しいと言えよう
それが、生花
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?母の解説?
摘まれてきたコスモスの花は観察者である作者と、「今」という時間を常に共有している。
ソレは「摘んできた今」と「一ヶ月後の今」である。
時間は既に流れたが、ある一点で出会った花と少女は、同じ時間を向き合って過ごしている。
花と心を通わせながらも、冷徹な観察を続ける姿勢を崩さぬ少女。
彼女の心に去来する物は、「滅びの美学」か「生命のうつろい」か?
しかし、ココには明らかに、詩と芸術が人生と出会う一瞬の美しい瞬き、そしてそれへの鑑賞という、出会う当事者とソレを見つめる観察者の二面性を持った少女の姿が息づいている(大嘘)
咲いている姿だけが美しいのではない。
その生を全うし、枯れ行く姿も美しいと彼女は世界に高らかに宣言してみせる。
ソレが「生きている物」への祝祭だと断言する。
10歳にしてこの感性。
全く末恐ろしいお子さんである(←単なる親バカ)
って言うか、一ヶ月間もコスモスを花びんに挿しているのは「いかがなものか?」と母は思う。
「掃除三昧に狂う」ワシ!?
一体ナニが起きたのか!?それは「今日の日記」を読めばワカル!
その「今日の日記」はコチラ?♪↓
(コレは日記の予告?)