山麓日記帳

全ては消えゆく、雨の中の涙のように

卒業式

今日は弐号機の卒業式でした。
寒い中、子供たちはみな美々しく着飾って。
輝くばかりの若い命がみんな笑顔で卒業式に挑みました。

ワシはこの子達の入学式の時の様子を思い出しては、「立派に大きくなって」と涙が止まりませんでした。
卒業式の最初のプログラム。校長先生のお話の冒頭。
校長先生がこの度の東北関東大震災の被害者に哀悼の意を捧げられ、みんなで黙祷をしました。

先週、仕事から家に帰って最初に見た、恐ろしい福島第一原子力発電所に押し寄せる高波の風景を思い出し、津波にさらわれた方々の無念を思うと涙が出てきます。
そして、その後の「君が代」斉唱では。
今、この瞬間にも自分の命を呈して戦っている自衛隊、消防隊、被災地の皆様の姿が思いやられて、また滂沱の涙。
式が始まるなり、もう涙が止まりません。

ここ一週間は。この世の地獄のような悲惨な被災地の様子に涙して、陛下のお言葉に涙して、自衛隊や消防隊の獅子奮迅の働きに涙して。
地震の日以来。ずーっとテレビを見て泣いている気がします。
しかし、なんとこの政治の中枢にいる人達、企業(東電)の上層部にいる人たちに比べて、被災地の皆さんの力強いこと、逞しいこと、身を呈して原発の人災(と言えるとワシは思ってます)と戦う人々の美しいこと。
「人間には二種類いる。腹をくくってない人と腹をくくった人だ」
と思いました。
この市井の雄々しくも美しい人々が居る限り、日本は何度でも立ち上がれるのだ!と確信しました。

もう、東電も民主党も関係ない。
日本国には日本人が居る限り、何度でも立ち上がり復興して見せることが出来るんです。
そう思いました。
最後に、この人の卒業式の言葉を↓

吉田茂 (昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)

「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか叱咤ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、
国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい」